私が子どもの頃に「プロレスの教科書」で教えられた歴史とは、エリート・馬場に対しての雑草・猪木の奮闘である。猪木はストロングスタイルという旗印を掲げた。「強さでは馬場に負けない」という主張を。

この思想はウケた。「プロレス道」の雰囲気を帯びたのだ。かなりの長期にわたって、明るく開放的で誰でもわかるアメリカンプロレスは軽視された。

しかしメジャーリーグでは馬場だったのである。「大きいことはいいことだ」という圧倒的正義。アメリカでは客を呼べる人間がすべてであり、早々に呼べたのは馬場だった。

猪木がそれを覆すには勝負論とストイックさしかない。猪木は必死に我々を説き伏せたのだ。生きる術として。

世界で最も客を呼べたアンドレ・ザ・ジャイアントも猪木のリングでは「柔よく剛を制す」の相手のひとりだった。アンドレが世界標準(超ベビーフェイス)のまま、日本で迎えられたのは馬場とタッグを組んだ全日本プロレスだった。晩年である。

猪木はボブ・バックランドや、でくの坊で格下時のハルク・ホーガンとは定期的にタッグを組んだが、アンドレとは一度しか組まなかった。「大きい=正義」「わかりやすい=正義」の魅力に猪木派の観客も気づいてしまう危険性を感じたからかもしれない。

今となって、世界標準を知れば知るほど猪木のプレゼン努力や頑張りをしみじみと思い知る。

馬場さんも偉かったが、アントンもやはり偉かった。



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