「昭和&平成2大歌姫」の知られざる“断絶”と“葛藤”!宇多田ヒカルが初めて明かした!母との「愛憎39年」の真実の画像
宇多田ヒカル

 今年1月、約3年7か月ぶりのニューアルバム『BADモード』を配信。4月には世界最大級の野外音楽フェス、米『コーチェラ・フェスティバル』に出演した宇多田ヒカル(39)。

 そんな彼女が、雑誌『ヴォーグ・ジャパン』(7月号)のインタビューに登場し、近況などを語った。

 中でも興味深いのは、これまで口にすることがなかった亡き母・藤圭子について、赤裸々に告白していることだ。今回、明らかになった“歌姫”母子の39年間の断絶と葛藤とは――。

「1998年12月、15歳でリリースしたデビュー曲『Automatic』が、ダブルミリオンを記録。一躍、時代の寵児になった宇多田ヒカルですが、彼女の母親が藤圭子だと知った往年の歌謡曲ファンは、むしろ、そのことのほうに驚いたはずです」(芸能記者)

■抜群の歌唱力を誇った

 2013年8月に突然、自死した藤さんは、69年に『新宿の女』でデビュー。18歳という若さだった。

 デビュー以降、『女のブルース』『圭子の夢は夜ひらく』と立て続けにヒットを飛ばし、瞬く間に“若き歌姫”の座に上りつめたのは、娘のヒカルと同じ。

「とにかく、めちゃくちゃ歌のうまい人でしたね。演歌だけでなく、ビートルズの曲や洋楽ポップスを歌わせても抜群。他の歌手のカバー曲も、本人以上の表現力で歌ってみせました。浪曲師の両親のもとに生まれ、上京後も流しをするなど苦労人だった彼女は、71年に人気歌手の前川清と結婚(翌年離婚)。82年に再婚した音楽プロデューサーの宇多田照實さんとの間に生まれたのが、ヒカルさんでした」(歌謡界関係者)

 そんな母についてヒカルは、こう語っている。

〈母がとても不安定で危うい人だったので、私には初めから『人との関係』の前提に『喪失の予感』がありました。でも他者が存在している以上、他者と関係を持たない選択肢なんてないと思います。拒絶している状態も一つの関係だし〉

 一方で、母の心情も理解していた。

〈母は私に音楽をやってほしかったんだなって感じます。彼女のことを理解できる人間になってほしかったんだと思います。音楽に対する情熱がすごくて、その情熱を共有できる、理解できる人間になってほしかったんじゃないですかね。私を理解してくれっていう期待はすごかったです〉

 昭和の歌姫を母に持ったヒカルの苦悩がうかがえる。

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