■剛は「現実味を帯びたアイドル」に憧れた時期があった

「当時の剛さんは、ギターなどまったく弾いたことがなく、7月26日・8月2日号の『女性自身』(光文社)で篠原ともえさんは、当時について“収録以外の時間でもいつも2人はギターを練習していました”と話していました。いまや25周年記念ライブ『24451~君と僕の声~』でアコースティックギターの生演奏を披露するほどですが、その原点ですよね」(前出の専門誌記者)

 また、アイドルについての苦悩も、剛は語っていた。

 KinKi Kidsは関西系だったり、初のデュオだったりデビュー曲がマイナー調だったりと異色づくめのユニットだったことは有名な話だが、歳を重ねるにつれて「アイドル」が何かわからなくなってしまったという話を展開。

「夢うつつで現実逃避を与えるとか、ウソでも恋の歌を歌ったりとか、皆を気持ちよくさせてあげる。それがアイドルなのかな、とか。子どものときにいろいろ考えたんですよね。アイドルって本当に気持ち言っちゃいけないのかなって」

 と、オブラートに包まずにシビアな悩みを語り、アイドルが「偶像」を意味する言葉であることに触れて「偶像は嫌だなというか。現実味を帯びたアイドルになれたらいいな」という思いから生まれたのが02年の『街』だったことも明かした。

 ちなみに、99~05年まで『Myojo』(集英社)に連載していたエッセイをまとめた『ぼくの靴音』には、こんな記述があった。

《本当は、作られた“堂本剛”なんて要らない。ありのままの自分で、たくさんの事を感じたり、作ったり、愛したり出来れば良い》

《こないだ、また歌を作った。俺の本当の気持ちを知りもしないくせに、世間は、俺の事をああだこうだ、と決め付けたりするけど、そんな事に囚われてたら、自分は止まったまま、たとえ心臓がガタガタになろうが、絶対に負けへん、くたばらへん、進んでいくぞ…って歌》

 アイドルらしさに悩みつつも、現在の男性や本格的な音楽ファンからも愛される堂本剛になったのが、よくわかるエピソードである。

「その結果、女性ファンが減るも男性ファンが増え、いつしかファンの年齢層が“コンサートで出会って結婚”という層が増えたり、主婦業が忙しくてファンを辞めていたのが落ち着いて戻ってきたりと、ファン層が入り乱れていることなどを話しましたが、恋愛についての話になった際には、興味深いやりとりがありました」(前同)

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