最後の最後まで勝負は分からない。敗色濃厚な展開を土壇場でひっくり返した歴史的一戦をプレイバック!
甲子園に棲む“魔物”の気まぐれか。7月31日に行われた阪神対ヤクルトの一戦は、球史に残る大逆転劇となった。
2点を追うヤクルトは7回、4番・村上宗隆のソロ本塁打で1点差に。さらに9回に同点ソロ、そして延長11回には決勝2ランと、3打席連続ホームランで試合をひっくり返したのだ。
「一人で全得点を叩き出しての逆転は、まさに奇跡。しかも、続く中日戦では、史上初の5打席連続本塁打まで伸ばした。チームを救う、まさに“村神様”の面目躍如と言える活躍でした」(スポーツ紙デスク)
長い球史を紐解けば、こうしたド派手な展開は、とかく夏に多い。今回は、そんな“真夏の大逆転劇”を、当事者の証言とともに振り返っていこう。
■9点差から勝利
まず、記録的大差の逆転劇といえば、1995年7月30日の広島対中日戦。この試合では、中日が9点差から勝利を収めている。
「前年の“10・8”に敗れ、V奪取を期待された中日でしたが、相次ぐ故障者と“投壊”で高木守道監督が早々に休養。後任の徳武定祐代行も解任され、“代行の代行”として島野育夫2軍監督が緊急昇格することに」(スポーツライター)
この試合も、5回終了時点で0対9で敗色濃厚。だが、一方的な展開と誰もが思った7回表。場内に響いた「代打・川又」のアナウンスを号砲に突如、試合は大きく動き出す。
「回の頭に僕が安打で出て、そこから一挙7点。怒濤の攻撃が始まったんです」
こう語るのは、反撃の口火を切った、当の川又米利氏だ。さらに続ける。
「代打は何度も経験があるけど、同じ回にもう一度、打席に立ったのはあのときだけ。ベンチは完全に負けムードだったけど、僕はとにかく結果をと、自分のことしか頭になかった。逆に、それが功を奏したのかも」
試合は、土壇場の9回に中日が追いつき、延長12回表、立浪和義の勝ち越し打で勝負あり。これが島野代行の初勝利となった。
「実はこの日の昼、同じ広島市民球場では高校野球の広島大会決勝が開催。勝った宮島工も同じく7回の猛攻で一挙7点。大逆転で初切符を手中にした。この数奇な巡り合わせに、敗れた広島・三村敏之監督も“運命を感じる”と口にしていました」(前出のライター)