■年相応のものをやれっていうのはおかしいし、世間の評価なんて関係ない

 着てるもんとか趣味とかというのは自分が決めることであって、年相応のものなんてないんですよ。落ち着いた色の洋服を着て、碁会所へ通うのが老人のあるべき姿だなんて、いったい誰が決めたかということですよね。なんとなくそういう雰囲気に従うことというのは実にばかばかしいことでね。周囲に自分の言動や服装を決められちゃった瞬間に、年相応じゃなくて、あんた年くっちゃうよということなんですよ。

 年相応のものをやれっていうのはおかしいし、世間の評価なんて関係ないですよ。たとえばテレビゲームが好きだったらやればいいんですよ。「え! その年でそんなことをやってるんですか」と笑うような世間がおかしいと思うのね。だから、あたしの生き方が、他人様の目に楽しく映るのは、好きなことをやってるからだと思うんですよ。カメラや自転車、飲酒といった趣味にしたって、好きだからやってる。70歳になったらそうしなければいけないみたいな義務感でやってるわけじゃないですからね。年相応ではなく、自分相応に自然体で生きてるから楽しく映るんだと思うんですよね。

 ずっと自然体で生きてきて、芸能生活も50年になり、その記念にという大げさな話ではありませんが、アルバムや本を出すことになりましてね。アルバムは集大成としてベスト盤を出そうかとも思ったんですが、1972年に出したファーストアルバム『万年床』を、全曲新録音で12月に出す予定です。50年前とは声が違うし、おのずと違う歌い方になるし、それはそれで面白いんじゃなかろうかなと思います。

 本のほうは来し方を振り返りつつ、今日話したような年“不”相応な生き方のほうが楽しいし、それが年を食わない秘訣なんじゃないかというようなことを書いています。ただ、老人向けの教科書じゃないし、同じような年の人に共感してくれとは書いてない。むしろ若い人に読んでもらって、こういう生き様も面白いし、こういう人生もあるんだなと思っていただけるほうが、あたしはありがたいですね。

なぎら健壱(なぎら・けんいち)
1952年、東京都中央区木挽町(現在の東銀座)で生まれ、その後、葛飾、江東などで育つ。1970年、岐阜県中津川で行われた全日本フォークジャンボリーへの飛び入り出演を機にデビューし、1972年にファーストアルバム『万年床』をリリース。以来、50年以上歌い続けている。現在はコンサートやライブ活動の他、テレビ、ラジオ、映画、ドラマ出演でも活躍。新聞や雑誌などでの執筆も多い。近著は『アロハで酒場へ』(双葉社)。

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