■“メロン”を普及させた第一人者でもあった!

 そうした彼の政治家としてのイメージが民衆を動かし、「国民葬」の熱狂として現れたわけだが、それはまた、民衆を意識した彼の政治手法の成果ともいえる。

 たとえば、隈板内閣誕生の際、重信が参内して天皇から組閣の命を受けた重大な日に、東京専門学校の校友会での講演会が予定されていた。

 組閣という一世一代の晴れ舞台だけに、予定をキャンセルしてもよかったのだが、彼は一時間遅れで駆けつけ、「約束したことに背いたことはない」と発言し、拍手喝采を浴びた。

 また、彼の豪胆さも人気の秘訣だった。立憲改進党が発足したのち、彼は一時、脱党して黒田清隆(元薩摩藩士)内閣で副首相格の外相に就任した。その外相時代、彼の外交方針に反発した国家主義者の青年に、馬車で官邸入りするところを狙われ、爆弾を投げつけられたのだ。

 重信は右足を失い、生涯、義足生活を続けるが、「右脚切断後の後遺症として断続的に起こる痛みに耐え、驚くべき精神力で」(伊藤之雄著『大隈重信』)遊説に回ったという。

 彼が民衆を意識していた逸話は他にもある。晩年の話だ。現在、早稲田大学の大隈庭園になっている自邸に温室を作り、当時、まだ一般的に知られていなかったメロンを西瓜のように民衆にもっと手軽に食べさせたいと願い、その栽培と品種改良に努めた。

 我々が甘くておいしいマスクメロンを食べられるようになったのは彼のおかげ。ある意味、大隈重信こそが日本人に初めてメロンを奨め、普及させた第一人者といえる。

跡部蛮(あとべ・ばん)1960年、大阪府生まれ。歴史作家、歴史研究家。佛教大学大学院博士後期課程修了。戦国時代を中心に日本史の幅広い時代をテーマに著述活動、講演活動を行う。主な著作に『信長は光秀に「本能寺で家康を討て!」と命じていた』『信長、秀吉、家康「捏造された歴史」』『明智光秀は二人いた!』(いずれも双葉社)などがある。

 

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