「もうアニキの元気な声が聞けない」「たくさんの熱い思い出」死去・水木一郎が貫いた「生涯現役」への感謝の声と「貫いた11年前の言葉」30分で4万RTの画像
写真/弦巻勝

 12月6日に『アニソン界の帝王』の異名を取る、歌手の水木一郎さんが肺がんのため74歳で亡くなったことが、所属事務所から12月12日に発表された。

 以下、所属事務所からの発表全文

『訃 報

弊社所属の歌手・水木一郎が令和4年12月6日 午後6時50分、肺がんのため永眠いたしました。ここにみなさまからの生前のご厚誼に深謝し、心から哀悼の意を表しますとともに、謹んでご報告申し上げます。

昭和23年1月7日生まれ 享年74

昨年4月末に肺がんが発覚し、入退院を繰り返しながら放射線治療や薬物療法を行い、1年7か月あまり闘病生活を続けておりましたが、去る12月6日に救急搬送先の病院にて息を引き取りました。

脳転移、リンパ節転移、髄膜播種を伴う厳しい病状ではありましたが、「生涯現役」を目標に、治療とリハビリに励み、活動を続けてきました。思うようなパフォーマンスができなくなってもその強い意志は変わらず、最後のステージとなった11月27日のライブでも満面の笑みを浮かべておりました。これまで支えてくださったみなさまに厚く御礼申し上げます。

通夜並びに葬儀につきましては、ご遺族の意向により近親者のみにて執り行われました。
ご遺族の心中をお察しいただき、ご弔問、お香典、ご供花などはご遠慮くださいますようお願い申し上げます。

なお、お別れの会などにつきましては、ご遺族と相談のうえ、後日執り行う予定です』

「水木さんは1968年に歌手デビューすると、1971年の『原始少年リュウ』主題歌に始まり、『マジンガーZ』『キャプテンハーロック』などの数々のアニメソングや、『仮面ライダー』シリーズなどの特撮ソングを次々に歌い続け、持ち歌は1200曲を超えています。さらに1999年には前人未到の『24時間 1000曲ライブ』を完遂しました。

 2011年の『週刊大衆』9月19日号でのインタビューでは、“僕はマグロみたいなもんですよ。止まると老けちゃう。年を考えたこともないし、40年間、常に同じ。これから先が楽しみです。夢追い人じゃないけど、アニソンって、先に何があるかわからない。俺たちが切り拓いてきたジャンルだからね” とアニソン界の第一人者として、これからも第一線で生涯現役を宣言されていました」(芸能誌記者)

 その宣言通り、先月11月に日本歌手協会が都内で開いた「第49回歌謡祭」には、水木さん自身が特注した車いすで登場。さらに今回の水木さんの公式ツイッターでの訃報には、約30分で4万超のリツイートをされるほど大きな衝撃が走った。

ファンからは

《何度も何度も元気をいただきました。本当にありがとうございました》

《熱い情熱を込めた、素晴らしい歌声をありがとうございました!》

《アニキの力強い歌声に、どれだけ元気づけられてることか……もうアニキの元気な声が聞けないのが寂しい》

《いつも元気と勇気をありがとうございました。あなたの歌声は人を元気にする最高のものです。それはこれからも変わりないと信じてます》

《アニキ、子供頃にたくさん熱い思い出をくれてありがとうございます!本当のヒーローなのです アニキの歌声はずっと聞きます》

《向こうではアニキのライブが開催されてるんですね。ライブに参加できる時まで、またアニキの歌を聞いて前を向いて進みますね》

《子供時代にたくさんの希望や感動を与えていただきました。心よりご冥福をお祈りいたします。これからも生き続ける歌と魂で、これからの子供たち、アニメファンを喜ばし続けることでしょう。走り続けた人生、天国でアニメ観ながら、ゆっくりお過ごしください》

《たくさんの熱いアニメ特撮ソングをありがとう。もうゼーーット!!が見れないと思うとさみしい気持ちでいっぱいですが 沢山の元気を貰った分私もそんな人になれるように頑張りたいなと思います》

といった世代を越えて“アニキ”への感謝の言葉で溢れていた。

  1. 1
  2. 2