■作者特定の大きな鍵は富士山の噴火にある!?
まず、「竜の首の珠」を本気で求めて航海に出た大伴御行が遭難し、命からがら戻ってくる話は、道真と同族の菅原梶成が承和五年(838)、遣唐船で遭難し、南海の島に漂着した事実をモチーフにしたともいえる。
それもさることながら、大伴御行は、竜から首の珠を奪おうとした罰が当たって遭難したのだと反省し、それが欲しいといった姫を「大盗人」呼ばわりしているのが重要。
そもそも、いくら求婚を断る口実とはいえ、実際にこの世に存在しないものを探させようとする彼女の行為も問題なのだ。五人の中で姫を批判するのが、この彼一人だけ。
その一方で、架空の人物ながら「蓬莱の玉の枝」を課せられた車持皇子は五人の中で最も狡賢く、探すふりをしつつ、出世とカネで釣り、工人らに偽物を作らせている。
かぐや姫も騙されそうになるが、最後には企みがばれて皇子は天下に恥を晒し、身を隠してしまうのだ。彼のモデルが、道真を讒訴したという時平の祖先、藤原不比等だとされる。一説には彼の母の名を車持夫人といい、不比等自身、天智天皇の隠し子という噂もある。
道真が自らの恨みを少しでも物語を通して晴らそうとしたという筋は成り立つように思う。
しかし、事情が事情だから、匿名で書いたのだとしたら、作者不詳の謎も解ける。
しかし、ことはそう単純ではない。月へ帰った姫へ返歌を贈るため、帝が官人らを富士山に遣わし、噴煙に乗せて月に送り届けようとするラストシーンがあるからだ。
富士から噴煙が上がるのは貞観一七年(875)頃に噴火したためだが、道真が左遷という悲劇を味わった延喜の頃、すでに噴煙は上がっていなかったという説がある。
この他の理由からも、物語の成立を富士山噴火後の貞観の頃に定める説があり、やはり、道真が作者だとすると、時代が合わなくなってくる。
残念ながら、日本で最初に書かれた物語の作者はやはり、不詳という他ない。