■医者のあるひと言で抗がん剤をやめた…

ゆま「本には、入院中、桑野さんが書かれていたメモも掲載されていました」

桑野「何時にどんな薬を飲んだとか、そういう内容だけどね。自分が生きている証しみたいなものを残しておきたかったんだろうね」

ゆま「私も入院中は毎日、何かを書いていました。本には抗がん剤治療のつらさも、書いていらっしゃいましたが、私も副作用がきつかったんですよね」

桑野「俺の場合、初日から手足にしびれが出てね。冷たいものを飲んだら、体も凍え死にそうな感覚になってね。そのうち、爪の色が変わって、髪の毛も抜けて……。ゆまちゃんは、どんな感じだったの?」

ゆま「私は吐き気がひどかったです。あと、一番つらかったのは倦怠感。何もする気がおきなくなっちゃったんです」

桑野「分かるよ。俺も吐き気はひどかったよ」

ゆま「桑野さんは全部で4回、抗がん剤治療を受けられたんですよね」

桑野「そう。本当は8回なんだけど、『シャネルズ』の40周年ライブが控えていたからね。間に合わせるため、抗がん剤治療を4回までやって、がん細胞が小さくなったら、手術。そこから1か月リハビリをして、なんとかライブに参加しようと考えていたんだ」

ゆま「やっぱり目標があると、頑張れるものですね」

桑野「本当にそうだと思う。あのとき、目標があったのはありがたかった。ところが、ツアー初日の公演には間に合わなかった」

ゆま「それで、抗がん剤治療を再開されたんですね」

桑野「そう。でも、抗がん剤治療を再開すれば、しばらくの間、ライブに出ることは無理。副作用で吐き気と下痢がひどいし、精神的にもきつくなってね。だから結局、抗がん剤治療はやめた」

ゆま「やめても、大丈夫なんですか?」

桑野「まあ、手術でがん細胞は切除できて、転移も見られなかったからね。もちろん、抗がん剤治療を途中でやめると、再発のリスクは高まるよ。でも、先生に“抗がん剤を続けても、再発するかもしれない。逆に、やめたからって再発するとも言えない”って言われてね」

ゆま「結局、最後は自分で決めるしかないんですね」

桑野「そう。だから、俺は、やめることにしたんだ。本当にしんどかったからね。そう考えたのも、闘病生活を通じて、“頑張ろうとしない生き方”を学んだからなんだ」

ゆま「頑張ろうとしない生き方――そう考えるようになられた経緯を、詳しく教えてもらいたいです」(次号につづく)

くわの・のぶよし1957年4月4日、東京都生まれ。クワマンの愛称で親しまれる。1975年に、鈴木雅之らと『シャネルズ』を結成。その後、バラエティタレントとしても活躍し、『志村けんのバカ殿様』(フジテレビ系)では、二代目家老役を務めた。

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