「大阪弁で女心を歌い上げる!」れいか「大阪のブルースに挑む女の巻」珍談案内人・吉村智樹のこの人、どエライことになってます!の画像
れいか

 関西に生息するアヤシくてオモロい人たちに、大阪出身・京都在住の人気ライター・吉村智樹が直撃インタビュー!

■一時は歌手の夢を諦めるも……地道な下積みを経てデビュー!

「関西在住ですが、大阪弁のオリジナル曲を歌うのは初めてなんです。日頃から使っている言葉ですから、いっそう気持ちが入りますね。歌えば歌うほど好きになる曲です」

 こう語るのは『OSAKAレイニーブルース』(日本クラウン)が絶好調の歌手、れいかさん。艶やかで、おおらかな歌声、スラリとスマートなルックス、まさに大阪ことばで言う「べっぴんさん」だ。

 2009年、れいかの名で『歌舞伎町のノラ』でデビュー。以来、『優しい嘘をください』『貯金の好きな女』など次々とヒット曲を生み出した彼女、歌が好きになったのは小学生の頃だったという。

「いつも家の鏡台に向かって歌っていました。そして、自分の歌をカセットテープに録音して、クラスメイトに配っていましたね」

 なんと、小学生の頃からキャンペーンをやっていたというから早熟だ。人前で歌った初体験は親戚の寄り合い。小柳ルミ子の『お久しぶりね』を披露し、拍手を浴びた。その快感が忘れられず、プロの歌手になる決意をした。

「『お久しぶりね』を作詞・作曲したのは杉本眞人先生で、実は『OSAKAレイニーブルース』を書いてくださったのも、杉本先生なんです。不思議なご縁を感じますね」

 幼少期に初めて客の前で歌った曲の作者が、のちに自分に作品を提供するとは、なんという巡り合わせだろう。しかし、これはけっして偶然ではない。杉本氏が書く曲のファンだった彼女は、思いを熱く手紙にしたため、届けた。その気持ちが伝わったのである。

 このように、れいかさんの今日の活躍は、コツコツとした努力の積み重ねの上にある。挫折もあった。

「10代の頃、“歌手になれるかも”という機会があったんです。けれども、肝心のレコーディングの日に喉が潰れ、このお話が流れてしまって……。夢を諦め、高校卒業後は段ボール工場の事務員として働いていました」

■盛り上がりまくる関西のノリが好き!

 OLとして地道に働くこと5年、再びチャンスはやってきた。地元テレビ局のカラオケ番組に出場し、スカウトされたのだ。

「歌手になれる! そう思って会社をすぐに辞めました。でも、甘くなかった。自主制作のCDを売って資金を作り、そのお金でまた、CDを制作する下積み生活が続きました」

 そうして一歩一歩、踏みしめるような頑張りが報われ、メジャーデビューの夢をかなえて、今年で16年。彼女は今日も歌で関西を盛り上げている。

「上京するべきか悩んだ時期もありました。けれども、お客様の反応がダイレクトに伝わる関西のノリが好きで、離れられなくて。客席との掛け合いが盛り上がりすぎて、いつも時間がオーバーしがちなんですけれど(苦笑)」

 れいかさんのステージは楽しさいっぱい。新曲はレイニーだが、雲間から光がさすような明るさがある。

よしむら・ともき「関西ネタ」を取材しまくるフリーライター&放送作家。路上観察歴30年。オモロイ物、ヘンな物や話には目がない。著書に『VOW やねん』(宝島社)『ジワジワ来る関西』(扶桑社)など

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