■「イージーオーダー」も当時すでに行っていた

 そんな騒動の最中の天和二年(1682)に大火が起こり、本町界隈は灰燼に帰し、それを機に越後屋は翌年、現在の日本橋三越本店がある駿河町へ移転。

 ほぼ同時に江戸市中へ「呉服現金安売り掛け値なし」の引ひ き札ふだ (チラシ)を配り、新商法が軌道に乗った。

 元禄元年(1688)に刊行された井原西鶴の『日本永代蔵』にも、この越後屋が登場している。

 それによると、越後屋は一日一五〇両を売り上げ、当時、一反単位の取引だった常識を覆して「切り売り」にまで手を出し、さらには即座に仕立てて渡すイージーオーダーまで行っていたことが確認できる。

 こうして江戸の小売り業界を一変させた高利は元禄七年(1694)五月、江戸から遠く離れた上方の京で永眠した(享年七三)。

跡部蛮(あとべ・ばん)1960年、大阪府生まれ。歴史作家、歴史研究家。佛教大学大学院博士後期課程修了。戦国時代を中心に日本史の幅広い時代をテーマに著述活動、講演活動を行う。主な著作に『信長は光秀に「本能寺で家康を討て!」と命じていた』『信長、秀吉、家康「捏造された歴史」』『明智光秀は二人いた!』(いずれも双葉社)などがある。

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