NHK大河ドラマ『光る君へ』謎多き紫式部の人間味「妬みや悪口がポロリ…」の画像
NHK大河ドラマ『光る君へ』主演の吉高由里子

 NHK大河ドラマ光る君へ』のヒロイン紫式部は、一条天皇の妃・彰子に女房(世話役)兼家庭教師として仕え、主にその女房時代に世界的に有名な『源氏物語』という長編恋愛小説を残した女性である。

 そこまでは知られた話だが、それ以上の話で明らかなのは、母を早くに失くし、父は藤原為時という中級貴族で、その父が国守に任じられた際、都を離れ、雪深い越前(福井県)で、ともに暮らした経験があること。また、藤原宣孝という年の離れた中級貴族と結婚、賢子という娘をもうけたが、その夫と死別したこと。

 さらに「だろう」という条件つきでいうと、シングルマザーになって娘を育てるために女房として働くようになり、かつて父が「式部丞」という官職についていたことがあったため、姓の「藤原」と合わせ、女房名を「藤式部」としたものの、のちに『源氏物語』が広く読まれだすと、登場人物の「紫の上」にちなみ、「紫式部」と呼ばれるようになった。また、彼女には弟がいた(一説には姉も)。

 それ以外の話は生年や没年はおろか、本名(藤原香子=幼名・もも説がある)も定かでない謎の人物だ。

 一方、謎といえば、彼女がどんな性格だったのか、よく分かっていない。才媛の式部には、つんと取り澄ましたインテリ女性というイメージがつきまとうが、彼女が詠んだ歌や日記(『紫式部日記』)からは、嫉妬もするし、人の悪口が好きな一面も垣間見える。その一端を紹介しよう。

 彼女の夫となる宣孝が式部に求婚した当時、彼には少なくとも妻が二人(正妻と本妻)いた。宣孝はその状況で性懲りもなく式部を口説き、のみならず、源則忠という近江国(滋賀県)国司の娘の元へも通っていた。当時は複数の女性と婚姻関係を持つことはめずらしくなく、宣孝だけが特に浮気性ということではなかったのかもしれない。

 ところが式部は妬心を見せ、「近江の方(則忠の娘)のところへ入り浸ったほうがよくはなくて……」という趣旨の歌を送っている。

 一方、『紫式部日記』には同僚の女房たちを寸評するくだりがあり、「よく顔を合わせる人について口さがない(無節操に悪く言い触らすこと)のは憚られます」と前置きしつつも、日記を書き進むうちに本音がぽろっと出てしまう。

 たとえば、五節弁という女房には「髪の毛も初めて会った時には背丈に一尺(約三〇センチ)ほど余るほど豊かだったのに、今ではすっかり抜け落ちてしまっている」。小馬という女房へのそれは「むかしは美しい若女房だったのに今では琴柱を膠でつけたような(融通がきかない)人になった」と、まさしく口さがない。インテリとみられがちな式部にも人間味ある一面があったのである。

跡部蛮(あとべ・ばん)歴史研究家・博士(文学)。1960年大阪市生まれ。立命館大学卒。佛教大学大学院文学研究科(日本史学専攻)博士後期課程修了。著書多数。近著は『超新説で読みとく 信長・秀吉・家康の真実』(ビジネス社)。

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