14日のTBSラジオ「たまむすび」(パーソナリティ・赤江珠緒さん、博多大吉さん)に小橋建太さんがゲスト出演した。

 大吉先生と小橋さんの友人関係から実現したのだが、そのなかで私も僭越ながら小橋建太さんへのコメントを出すことになった。

 あらためて思い越してみると「プロレスラー・小橋建太」は特殊だったと思う。最盛期の「鉄人」「絶対王者」というイメージは強烈だが、一方で若手時代もいまだに記憶に新しい。

 小橋が全日本プロレスに入門したのは1987年。その頃の全日にはジャイアント馬場、ジャンボ鶴田など規格外の「非日常」な人たちがたくさんいた。プロレスラーになりたい人が必ずしもなれる時代ではなく、天賦の才が重視されていたのだ。そういう状況で小橋はアマチュアスポーツの実績も特になくプロレス界に飛び込んだ。等身大の若者はいってみれば「こちら側」と地続きであった。

 そして小橋は練習の虫として馬場に可愛がられる。ひょろりとした若者は、異常な努力ができるという才能を開花させたのだ。我々はどんどん成長してゆく小橋をリアルタイムで見ることができた。

 プロレスラーといえば破天荒でいい加減で野心も隠さないという人間性もみどころのひとつでもあったが、小橋はとにかく真面目でストイックで寡黙。これは、もしかしたら時代の要請だったのかもしれない。

 小橋建太がメインを務め始めた時代は90年代中盤から。社会ではバブルが弾けたあとどこか空虚な空気が漂い始めていたときだ。小橋建太の全盛期は日本が「失われた10年(もしくは20年)」と呼ばれた時期とまさに重なる。虚飾に包まれた見栄より、実直さが求められた頃。大仰なギミックを持たない等身大のレスラーの過激さ(四天王プロレス)がファンに支持されたのもは当然かもしれない。

 おまけに小橋建太はいつも熱かった。熱くて真面目なことはかっこ悪いことではないことを体現して教えてくれた。つい、白けそうになる時代に

 今年成人を迎えた皆さんが生まれてからのほぼ同じ時間を、小橋建太はリングで生きていた。自分が育ったのはどういう時代だったのか、今後の生きるヒントも小橋に隠されている。

 若者よ、小橋建太に学べ。

 以上、簡単ではありますが新成人へのお祝いの言葉にかえさせていただきます。

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