誰よりもファンを愛していた

真相は不明だが、こうした噂が飛び交うのも、その衝撃があまりにも大きく、同時に後藤騎手が多くの人々から愛されていたから。
生前の後藤騎手を何度も取材していたという競馬記者はこう話す。
「あれだけの人気騎手なのに、天狗になるところが一切ありませんでした。マスコミに対しても常に礼儀正しく、騎手の中で一番丁寧な接し方をしてくれる方でした」

後藤騎手は1992年にデビューし、00年にはマイルCS南部杯で、GI初制覇。その後も勝利を重ね、現役10位となる通算1447勝を記録し、GⅠ5勝。
だが、その輝かしい成績の裏で、彼は常にケガと闘い続けていた。
12年5月のNHKマイルCで落馬。当初は頸椎捻挫との診断だったが、その後、頸椎骨折と判明。4か月のリハビリを経て復帰したものの、その初日に再び落馬。その後も騎乗は続けたが、翌日、頸椎骨折と判明し、リハビリ生活に入った。

「13年10月、1年ぶりに復帰すると、復活後初挑戦となるGⅠ(マイルCS南部杯)で見事優勝。1度の落馬で心が折れてしまう騎手も多い中、それを2度も克服し、蘇った不屈の男として大きな感動を呼びました」(スポーツ紙記者)
その後、14年4月に、再び落馬の憂き目にあったが、11月に復帰を果たす。
「復帰戦では、"ファンの方に競馬の素晴らしさを1回でも伝えられればいいなと思っています"と語っていました。また、昨年の有馬記念では、中山競馬場で早朝から開門を待つ人たちにカイロを届けていたそうです。ファンサービス委員長を自称し、誰よりもファン思いの騎手でした」(同記者)

後藤騎手と親交が深く、
本誌連載『儲かりまっせ』でもお馴染みの小林慧氏は後藤騎手への思いをこう語る。
「後藤君は真面目で、気遣いの人やった。仲間内で飯を食うてるとき、後藤君を誘うと、すぐ駆けつけてくれました。競馬に対する愛も人一倍で、"馬と会話しながら走るんです"と、騎手という仕事への思いを熱く語ってくれたこともありました。残念でなりません」
過去の雑誌のインタビューで〈(1歳の)娘が理解できるようになるまでは続けたい。『元ジョッキー』じゃなくて、『お父さんジョッキー』なんだって誇りに思ってくれるように〉と語っていた後藤騎手。
男気あふれる、根性の男の死を悼みたい。

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