ソープランドとは風呂のある個室で女性とチョメチョメできる風俗だが、これは今から30年前の1985(昭和60)年以降の名称で、それまでは「トルコ風呂」(略して「トルコ」)と呼ばれていた。

どうして中東の国名が風俗の名称になったのかというと、それはトルコの風呂に対する日本人の勘違いから始まっていた。現地の風呂では、男性の垢すり師が男性客についていたのだが、日本には男性に対して女性の垢すり師がつくものとして伝えられてしまったのだ。

間違って理解されたまま「トルコ風呂」が日本で始まったのは、1951年(昭和26年)。銀座で開業した「東京温泉」で、サービスはサウナで身体を温め、あかすりやマッサージを提供するだけだった。そこに目を付けたのが赤線に対する世間の風当たりが強くなり、廃業の危機にさらされていた風俗業界で、サウナを個室化して性的サービスを行う店舗を作ったのだ。

最初は手を使って男性器をマッサージする「スペシャルサービス」(通称、おスペ)が売り物で、この女性スタッフのことをトルコ嬢と呼ぶようになる。1958(昭和33)年に売春防止法が施行されると、赤線で働いていた女性がトルコ風呂に大量流入。これによって日本のチョメチョメ風俗は窓越しに女の子を選び、赤暖簾をくぐって女性の待つ座敷にあがるという赤線スタイルから、個室に風呂とサウナがあってベッドでサービスする、現在のソープランドのスタイルへ変化していった。

1966(昭和41)年に風俗営業法の適用を受けると、「トルコ風呂」はさらに大衆化し、認知度が高まっていったのだが、在日トルコ人たちは祖国の名称や伝統文化が、いかがわしい風俗産業に使用されていることに対し憤慨していた。そんななか、1981(昭和56)〜1983(昭和58)年に東京大学に留学していたトルコ人留学生ヌスレッド・サンジャクリも「トルコ風呂」の名称にショックを受け、再来日を果たした1984(昭和59)年、当時(中曽根政権中)の厚生省に「トルコ風呂」の名称変更を直訴した。この運動は日本のマスコミにも大きく取り上げられ、その結果、同年10月に横浜市の特殊浴場組合が「トルコ風呂」の名称を用いないと発表。同年12月には「東京都特殊浴場協会」が「トルコ風呂」に代わる名称を公募して、ソープランドに決定。翌年の新風営法(風俗営業の規則及び業務の適正化等に関する法律)の施行により、全国の「トルコ風呂」がソープランドとして再出発することになったのである。

ちなみにチョメチョメ風俗なのに、なぜソープランドが違法ではないのかというと、ズバリ「浴場」だからだ。ちゃんと「入浴料金」があり、消防と警察の検査を受けて「浴場」としての条件を充たしている。そのサービスの中で『裸で男女が接するうちに欲情して恋に落ち、チョメチョメしても、自由恋愛だから浴場の管理の内ではない』、つまり、売春ではないという理屈だ。

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