日本の車が左側通行なのは武士同士のケンカ防止が理由だった?の画像
日本の車が左側通行なのは武士同士のケンカ防止が理由だった?の画像

道路では「車は左側通行」と日本では決まっているが、世界を見渡すと、このルールは少数派だ。アジアでは香港、インドネシア、タイ、インドなど、日本を含め16か国、ヨーロッパではアイルランド、イギリス、マルタの3か国しかなく、世界の道路の総距離から見ても、左側通行10%、右側通行90%と、圧倒的に右側通行の方が多いのだ。

なぜ、日本では左側通行なのだろうか? 警視庁の公式サイトの「質問コーナー」にも同じ質問があって、回答には『日本では、「車は左側通行、人は右側通行」になったのは、昭和25年ころからです。それまでは、人も車も左側通行でしたが、交通安全のために、車は従来からの左側通行とし、人は右側通行とする「対面交通」を取り入れたからです』とある。

つまり、日本では元々、車どころか人も左側通行だったのだが、これは平安時代に発生した武士に理由があるらしい。武士は刀を(左利きの例外はあるが)抜きやすように腰の左に差した。当時の路地は狭い場所が多く、右側通行で対面すると、腰に刺している刀の鞘が当たってしまい、ケンカの元になってしまう。こんな無用ないさかいを避けるために、暗黙のルールとして左側通行が定着。また、馬の乗り降りも、左側からすれば刀が邪魔にならないので、人や馬、籠や大八車も左側通行になったという説が有力なのだ。

やがて明治維新で武士の時代が終わると、政府によって左側通行という暗黙のルールが法律となる。当時、文明開化を進める政府は鉄道システムを導入する際、手本とする国の候補をアメリカ、フランス、イギリスの3か国に絞っていたが、最終的にイギリスに決定。そこで、イギリスと友好を深めるために左側通行を正式に交通法として定めたのだ。これには当時の陸軍大将、西郷隆盛も関わっていて、当初、陸軍はフランス式の右側通行を採用していたので、国の交通法も右側通行にしようと考えていたらしいが、慣習にこだわる人々の反対であきらめ、その結果が左側通行の法律化だともいわれている。

ちなみに、お手本のイギリスでは『車は左、人は歩道』で、歩道のどちらかを歩くルールはなく、『車は左、人は右』というのは日本独自の標語だ。

本日の新着記事を読む