これに似ているのが「議論」だ。

一方的な自分の主張だけで、相手を否定ばかりしていたら、ただの無秩序になってしまう。相手の言うことも聞きながら、自分のプラン、意思もきちんと表明する。

先日、朝日新聞からインタビューされた。安倍首相にしろ、野党にしろ「プロレス心がないのでは?」ということを話した。

「安倍さんは相手の技を受けない。王者のプロレスをしない。相手が野党でも夕刊紙でも、最初から攻撃的になる。プロレスと議論は本当に似ているんです。まず相手の技や話を受けとめないと。そうじゃないと観客(国民)もポカンとしてしまう。安保法制について多くの世論調査で『説明不足』とされるのも、そんなところに一因があるような気がします」(「安倍さん、相手の技受けるプロレス心を」プチ鹿島さん 7月11日朝日新聞デジタル)

安倍さんだけではない。採決のとき、テレビカメラをチラチラ見ながら立ち位置を確認して大仰なパフォーマンスをする野党議員もいた。白々しいの一言。みんな自分のことしか考えていない。

これは政治家だけか? 我々のことも思い起こしてみたい。

ツイッターやフェイスブックなどSNSの普及で、誰もが意見を表明できる素晴らしさを獲得できた。でも一方で、意に沿わない、あるいはうかつな発言や行動に対してすぐに罵倒を投げつける人も出てきた。そうなると次第に強い言葉がかっ歩する。『狭量な時代』である。政治家はそれを代表して体現しているのだ。『狭量な時代の狭量なリーダー』である。日本だけではなく韓国も中国も似たようなものだろう。

そんなことを考えていたら、最新号のスポーツ雑誌「Number 」で野田佳彦元首相がプロレス心について語っていた。

《プロレスは、相手の技を一生懸命に受け止めて、お互いの良さを引き出しあうからこそ、感動できる。「受け」が重要なんです。政治も言論の戦いですから、相手に一定のリスペクトをもって話を聞けば、建設的な議論になる。総理大臣がヤジを飛ばしているようでは、お話になりませんよ。》

私が朝日新聞のインタビューでしゃべったことと全く同じではないか。

気になるのは、野田氏は「実践」ではそんなにプロレスがうまいようには見えなかったことだが……。

それはともかく、「プロレス心が足りない」説は今の時代に投げかけたいことである。


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