■「弱いから負けた。それだけです」(シドニー五輪・篠原信一)
「世紀の誤審」と呼ばれたシドニー五輪柔道100㎏超級。見事に決まったと思われた篠原の「内股すかし」が相手のポイントになった。日本中が困惑と怒りに染まる中、銀メダルを首にかけた篠原ただ一人が自分の弱さを口にした。

■「銀メダルは負けてもらうメダルだから、学ぶことは大きい」(アトランタ五輪・谷亮子)
バルセロナ五輪では銀メダル。今度こそ「金メダル」と臨んだアトランタ五輪では、決勝で北朝鮮のケー・スンヒに敗れてしまった。金以外はすべて同じ、と言わんばかりの凄まじい執念がこの言葉にこもっている。その後、田村は二大会連続の金メダルをとる。

■「私は何で、一段一段なんだろう」(バンクーバー五輪・上村愛子)
長野五輪から4大会連続出場、7、6、5と順位を上げてきたが、バンクーバー五輪では4位に終わり悲願のメダルにはやはり届かなかった。一段づつしか上がらない順位に、上村愛子が洩らした無念の言葉。

■「日本代表の誇り、魂みたいなものは向こうに置いてきた」(1998年フランスW杯代表メンバー落選会見・三浦知良)
1998年フランスワールドカップ初出場を決めたサッカー日本代表はスイスでの合宿をしていた。しかしこの合宿で代表から三人が外されることとなった。そのうち一人が当時代表の顔であったカズであった。頭を金髪に染めて緊急帰国した会見では、「この気持ちは、自分自身納得しちゃいけない」と堂々と話した。W杯出場というサッカー選手の夢がまさに直前で消えていった。カズは今でもW杯のピッチに立つことを夢見ている。

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