また、有吉のような超売れっ子ではないが、地道に芸能活動を続けている芸人たちもいる。

●なすび(40)『電波少年的懸賞生活』(1998年1月〜1999年4月)……衣服を全て没収され「人は懸賞だけで生きていけるか?」をテーマに100万円分当選を目指していたが、目標額を達成したあとは舞台俳優として活動していて、劇団『なす我儘(がまま)』を主宰したり、日本芸術専門学校の特別講師を務めている。また、2013年に東日本大震災で被災した故郷・福島県の復活と再生を祈願してエベレスト登山に挑戦したが、山頂から100メートル下で無念の撤退。2014年に再挑戦したが、大規模な雪崩発生により登頂を断念。2015年に再び募金で数百万円集め、3度目のエベレストに挑んだが、4月25日に発生した大地震と、氷河崩落事故の影響で断念した。

●真中瞳(36)『電波少年的ハルマゲドン2』(1999年)……1999年7の月のハルマゲドンがくるという予言に備え、生まれて初めて出逢った男と女が、ノアの方舟を埋める穴を掘りながら一緒に暮らす企画に出演していたが、相手男性との愛は芽生えずに終了。2000年にニュース番組『ニュースステーション』(テレビ朝日系)の金曜日のスポーツキャスターを担当し、ドラマ『編集王』(フジテレビ系)で女優デビュー。その後、ドラマ、映画、舞台などで活動している。2009年に芸名を東風万智子(こちまちこ)に変更した。

●Rまにあ・しゅく(39・宿輪竜一)『電波少年的無人島脱出』『電波少年的スワンの旅』(1998年4月〜1999年10月)……2006年にコンビ解散して、相方の中島ゆたか(38)は芸能界を引退。しゅくは関根勤から「しゅく造め」と命名されてピン芸人として活動。2013年4月10日に再び関根勤のアドバイスで「しゅくはじめ」に芸名を変更した。大のプロレス好きで、DDTプロレスリングのキャンプ場プロレスでリングアナウンサーを務めたり、無人島生活の経験を生かし、日本キャンプ協会認定の「キャンプインストラクター」などの資格を持ち、子供たちにキャンプ・アウトドアライフを教授する活動もしている。

●ダブルブッキング・川元文太(40)『電波少年的箱男』(2000年)……鉄製の箱に入り、鹿児島の佐多岬から東京までの約1500キロメートルを箱を押してもらうという、人の善意に頼った企画だったが、交際中の女性の登場により、目標とは違った趣旨のゴールになってしまった。その後も相方の黒田俊幸(40)とお笑いコンビを続けているが、妻は「早く芸人を辞めてほしい」と思っているそうだ。

●ケイコ先生(年齢不明)『電波少年的東大一直線』(2000年)……アルカリ三世(当時)の坂本ちゃん(年齢不明)を東大に合格させるため、家庭教師として登場したが、企画終了後は、本名の唐木恵子の名でドラマ、CM、司会、バラエティ番組などに出演。元々舞台での役者志望であり、タレント活動は本意ではなく思い悩んでいたとき浪曲と出会い、浪曲師を目指して二代目春野百合子(88)に弟子入り。東京の芸能界を引退した。2006年3月以降、春野恵子の芸名で浪曲師として活躍している。

『電波少年』シリーズのあとも、派生番組として『雷波少年』(1998年4月〜2002年3月)と続き、売れないバンドSomething ELseとBluem of Youthがヒットを目指す各企画や、運動音痴なタレント、羽田実加(37)が鉄棒で大車輪を目指す『雷波少年系鉄棒少女』などが人気だった。Something ELseとBluem of Youthは解散して、それぞれがソロやプロデュースで活動。羽田は結婚して一児の母になっている。

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