オートレース界全体を見ても森且行の存在は大きい。けっしてメジャー感があるとは言えなかったオートレースにとって、森の貢献が陰に日向に多かったことはみなが認めるところだし、現在もなお「森頼み」の側面があることも否めない。川口オートが初のナイターレースを開催したときのポスターもやはり森である。

 しかし、それと同時ににわかに脚光を浴びたオートレース界内部にも様々な影響を及した。まず変わったのは、レーサーたちの意識だ。始めこそは、ぽっと出の人気者に負けたくない……という対抗心もあったかもしれないが、森のレースに取り組む真摯な姿勢やその力量を認めたのか、森の持つポテンシャルに注目を集めることが多くなったのだ。

 また、髪型などのファッションに関しても、森の影響は大きい。むろん、レーサーである以上、身勝手な格好をするワケにはいかないが、森の洗練された髪型や身のこなしに少なからぬ影響を受けたレーサーもいた。特に名前はあげないが、森そっくりの髪型にしたレーサーもいたくらいだ。また、茶髪率が増えたのも森以降が多く、もともとレーサーという「モテ」アドバンテージがあっただけに、彼らの女性人気も上昇していったのだった。

 森が与えた影響は選手だけではない。森目当てであっても、女性ファンが足を運んでくれることは業界にとっては嬉しい兆候である。場内清掃の徹底や売店の充実など、地道なこころみから、オートファン以外へのPRも積極的に打ってでるようになった。また、森も子どもの頃からのあこがれであり、自身を受け入れてくれたオートレース界への思いがあるのだろう。これまた積極的に「看板」としての役割をつとめている。これは、一般メディアにオート絡みのこと以外ではほぼ露出しないこととは対照的と言えよう。そしてそれこそが、いまの森のスタンスなのである。

 ある意味、65年の歴史を誇るオートレース界は、森以前と森以降で大きく変化したと言ってもいいかもしれない。森以前は、中高年男性ファンのギラついた情熱がほとばしる(いまもその気はあるが)ギャンブル場。そして、森以降は「格好いい」レーサーが走る明るいレース場の趣も出てきた……といった具合だ。

 その森以降の時代を象徴するように、新たなスター選手も出て来ている。森より四期あとには青木治親(川口所属)──いうまでもなくバイクファンなら、誰でも知っている1995、6年のロード世界選手権125ccのチャンピオン──あの青木三兄弟の三男である。さらには、元ロードレース全日本選手権の250ccクラスのチャンピオン、青山周平(船橋所属)も現在はオートレース界に身を投じている。

 そして、これは森効果とは言えないかもしれないが、森がオートに入って以降、44年ぶりの女子選手が誕生している。佐藤摩耶(川口所属)、そして悲劇のレーサー・坂井宏朱のふたりである。佐藤は元モトクロスライダー、坂井は永井大介(船橋所属)に憧れてと、けっして森が転身の要因ではないが、およそ半世紀ぶりの女性レーサー誕生はファンを喜ばせた。

 しかしそのふたりのスター候補のひとり、坂井宏朱は2012年1月15日、船橋オートレース場の走行練習中に落車……27歳にして儚くなってしまった。だが、彼女の生きざまは人々に多くの感銘を与え、いまなおそのファンは多い。佐藤はそんな悲劇を乗り越え、44年ぶりの女子オートレーサーとして業界を引っ張り、いまも益春菜(川口所属)ら6人で「男社会」へ挑戦し続けている。

 それらのすべてに、森且行が影響しているわけでは、むろんない。しかし、森がSMAPという芸能界の頂を投げ出してまで飛び込んだ場所。それがオートレースだったことは、様々なイメージアップ効果があったのは間違いない。やはり、森の転身は正解だったのある。

<文・鈴木光司/別冊週刊大衆『運命をつかみ取る「勝負師」たちの「勝つ生き方」』より>

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