いま、人気急上昇!「生ける伝説」出川哲朗が愛される理由の画像
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 お笑いタレントの出川哲朗(53)が2月24日、横浜市内で会見を開き、自身初となる冠レギュラー番組『出川哲朗の充電させてもらえませんか?』(テレビ東京系)が4月15日にスタートすることを発表しました。同番組の内容は電動バイクに乗って目的地を目指す、“ガチ”の旅番組で、出川はずっとやりたいと言っていたレギュラー冠番組の実現に「感無量」「勝負に出てくれたテレ東に感謝」と、語りました。

 かつては雑誌『アンアン』(マガジンハウス)の「嫌いな男ランキング」で5年連続1位を獲得するなど、女性に嫌われるタレントの代名詞的存在だった出川ですが、今やバラエティ番組に欠かせない存在となっています。競争の激しい芸能界において、第一線でこれだけ長年活躍できるというのはすごいことです。というわけで、そんな出川の、気になる人気の秘密に迫ってみたいと思います。

 最初のブレイクのキッカケは、1989年に『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』(日本テレビ系)に出演したこと。ダチョウ倶楽部らとともに、一躍“リアクション芸人”として人気者になりました。以降、バラエティ番組に引っ張りだこで、2011年からは、子ども向け番組『大!天才てれびくん』(NHK)に出演したことで、子どもたちからも人気を得ます。体を張った芸風で有名な出川ですが、実は、実家は横浜で120年ほど続く老舗のり問屋の蔦金商店。子どもの頃は、幼稚園の送り迎えをベンツでしてもらい、家にお手伝いさんが5人もいたというから、なかなかのお坊ちゃまです。

 しかし、出川が高校生の頃、父がサイドビジネスに失敗、実家ののり問屋が倒産寸前になってしまいます。家族を支えるため、出川は親戚の紹介で老舗料亭に仕事を決め、その精神修行のため、尼寺で半年住み込みで働いたこともあるそうです。そして、その修行の最中、以前から進みたかった芸能の道を諦めきれず、当時横浜にあった映画専門学校に入学。その専門学校で同級生だったのが、なんと後のお笑いコンビ、ウッチャンナンチャンでした。彼らと劇団SHA・LA・LAを立ち上げ、活動していましたが、ウッチャンナンチャンが先に芸能界でブレイク。徐々に出川もテレビ出演が増えていったそうです。

 “ポンコツ”キャラとして芸人の後輩たちからイジられることもありますが、出川の仕事に対する姿勢に尊敬の念を抱いている仲間は多いようです。ケンドーコバヤシ(44)は、以前バラエティ番組で、厳寒の野外ロケで若手芸人を励ましたり、体を張る危険なロケでは、ケガをしないようアドバイスをする出川に、感動したと語っていました。千原兄弟の千原ジュニア(42)も、出川の「最終的には番組で死んでもOK」という言葉に心を揺さぶられたことがあったそうです。

 大人気バラエティ番組『世界の果てまでイッテQ!』(日本テレビ系)でも、ペットボトルのロケットで飛ばされるなどの過酷なロケや、出川が海外へ行ってミッションをクリアする人気企画「出川哲朗はじめてのおつかい」シリーズが好評です。このシリーズでは、ほとんど単語だけしか英語が話せない出川が、間違った英語や、ときには日本語を英語風の発音で話しつつ、積極的に外国人とコミュニケーションをとる様子が面白いと話題です。遠回りしつつも、毎回最終的に目的を達成してしまうところにも、視聴者はくぎづけ。英語が分からなくてもものおじしない、その姿勢が共感を集めているようです。

 体も張れてプロ意識も高く、コミュニケーション能力もバツグン、芸人仲間からも視聴者からも愛される出川哲朗。冠レギュラー番組の開始で、今後ますますお茶の間の人気者になりそうですね。

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