石川五右衛門は実在した! 大泥棒の謎多き素顔の画像
石川五右衛門は実在した! 大泥棒の謎多き素顔の画像

 日本人で『ルパン三世』に出てくる刀の名人、十三代目石川五ェ門を知らない人はいないだろう。最近では実写映画『ルパン三世』(2014年公開)で、俳優の綾野剛が五ェ門役を熱演して話題になった。また、スマホ向けゲーム『パズル&ドラゴンズ(通称・パズドラ)』にも石川五右衛門というキャラクターが登場する。

 しかし石川五右衛門は、ルパンの仲間やパズドラのキャラとして生み出された架空の存在ではない。では石川五右衛門とは一体何者なのか? 彼はどんな人生を送ったのか? その実情に迫るべく石川五右衛門について調べてみた。

■石川五右衛門は実在の人物だった!

 まず声を大にして言っておきたいのは、石川五右衛門は伝説上の人物でも創作のキャラクターでもなく、実際に戦国の世を生きた生身の人間だったということである。

●石川五右衛門の経歴

 石川五右衛門は天下統一を成し遂げた太閤・豊臣秀吉が世を支配していた戦国時代末期に実在した大泥棒である。朝鮮出兵のために警護が手薄になっていた京都で暗躍し、豊臣政権の人気にかげりが出ていたという政治的な理由も相まって民衆の英雄的存在となった。とはいえ、五右衛門の経歴はその大半が謎に包まれたままである。確実視されているのは安土桃山時代に生まれて数々の悪事を働き、最終的には秀吉の居城に忍び入ったところを捕縛され、公開処刑されたということだけである。

■有名な「釜茹で」処刑の実態とは?

 1594年8月23日、石川五右衛門は母親や実子、仲間などと一緒に市中引き回しの上で”釜茹で”の刑に処された。この極刑はあまりにも有名で、五右衛門風呂の由来にもなっている。五右衛門は自分の子どもと同じ釜に入れられたというのが定説だが、最期の行動には諸説ある。

 一つは自分が息絶えるまで子どもを持ち上げていたという説。息子に苦しい思いをさせまいとした親心が胸を打つためか、この説をモチーフにした絵は多く描かれている。その一方で、苦しませないよう、一思いに子どもを釜に沈めたという説、あまりの熱さに思わず子どもを下敷きにしたという説も残っている。なお五右衛門風呂に入る際、湯の中で「さな」と呼ばれる板を踏み敷くのは、直接熱い底に触れないためだが、五右衛門が子どもを踏み敷いたことの見立てだともいわれている。

 約20年間を日本で過ごしたとされるスペイン人の貿易商ベルナルディーノ・デ・アビラ・ヒロンが記した『日本王国記』という見聞録には、「都を荒らした盗賊集団が捕まり、京都の三条河原で油で煮られた」という記述が見られる。釜の中に入れられていたのが湯ではなく油だったとしたら、”釜茹で”ではなく”釜揚げ”である。生きた人間を油で揚げるというのは想像を絶する処刑方法だ。なお、この記録にイエズス会の宣教師ペドロ・モレホンによって「Ixicava goyemon」と名を明記した注釈がつけられたため、それまで疑問視されてきた石川五右衛門の実在が証明された。

 なお”釜茹で”による処刑は、当時としても異常なほど残酷だった。そのため具体的な罪状は明かされなかったものの、石川五右衛門は秀吉を激怒させ、恐ろしい方法で一族郎党を根絶やしにしてやろうと思わせるほどの一大事をやらかしたという噂が立った。

■様々な伝説が存在

 前述したように、石川五右衛門の生涯には不明であいまいな点が多く、それを補うかのようにさまざまな伝承伝説が残っている。

●出身地には諸説あり

 五右衛門の出身地は、伊賀・遠江・河内・丹後など諸説あって定かではない。丹後国の豪族・石川氏の出身であるという説では、秀吉によって一族が滅ぼされたため、五右衛門は豊臣家への恨みを晴らすために盗賊になったとされている。

●忍者伝説

 五右衛門は伊賀流忍者の出身で、伊賀流忍術を興した百地三太夫の弟子になったが、三太夫の妻と浮気したあげく、妾まで殺して逃げて盗賊になった。

●大名行列に化ける

 武士を装った100人以上の子分を行列させ、自分は派手な殿様装束を着て立派な駕篭に乗ったまま、白昼堂々と大名屋敷に押し入った。

●大凧で城内に侵入

 巨大な凧に自らを縛りつけ、風に乗って城に忍び降りた。

●秀吉を暗殺しようとした!?

 秀吉の居城に侵入して寝所にまで忍び込んだのは、秀吉の甥っ子である豊臣秀次の家臣、木村常陸介から秀吉の暗殺を依頼されていたからだという話がある。その一方で、秀吉が寝所に置いて大切にしていた”千鳥の香炉”というお宝を盗みに入ったという説もあり、その際に千鳥が鳴いたため五右衛門の侵入がバレて御用となってしまった。

●秀吉を泥棒よばわり

 捕らえられた後、秀吉から直々の取り調べを受けたときに、秀吉こそが天下を盗った大泥棒であるとたんかを切った。

●辞世の句

 石川五右衛門は処刑に際して、まさに大泥棒らしい辞世の句を詠んだという。

「石川や 浜の真砂は 尽くるとも 世に盗人の 種は尽くまじ」

 まるで地獄絵図のようにグツグツと煮えたぎる釜を前に反省して後悔するどころか、”自分が死んだとしても、この世から盗人はいなくならない”とふてぶてしい捨てゼリフを残していったのだ。

●「十二月十二日」と書かれたお札

 お札に五右衛門が処刑された日付「十二月十二日」と書いて上下逆さまに貼りつけておくと、泥棒よけになると信じられている。現在でも京都の家の玄関先で見ることができる。

●五右衛門処刑の釜は、第二次大戦後行方不明に!?

 五右衛門処刑に使われた実際の釜は、長年にわたって法務関係局で保管されていた。しかし、最後に名古屋刑務所にあるのが確認されて以来、戦後の混乱の中で行方不明になってしまった。

■石川五右衛門にゆかりのある場所

●石川五右衛門の墓

 石川五右衛門の墓は京都の龍池山大雲院にあり、「融仙院良岳寿感禅定門」という立派な戒名までついている。五右衛門の墓石の欠片をお守りとして持っているとさまざまなご利益があるといわれたため、あちこちに削られた跡が残っている。

●京都市伏見区の藤森神社

 藤森神社には、石川五右衛門が寄進したという手水鉢(ちょうずばち)の受け台石がある。これは同神社のおかげで追っ手から逃げることができたお礼として、現在は最古の石塔として重要文化財に指定されている、塔の島の十三重石塔から塔芯を盗み、受け台石として寄進したものだという。

●隠れ家

 方広寺の門前にある餅屋を隠れ家として使っており、万が一に備えて店内から鴨川河原まで通じる抜け道も作ってあったといわれている。五右衛門の刑死後、秀吉によって近くに耳塚が築かれた。

■創作の中の石川五右衛門

 江戸時代に入ると、井原西鶴や近松門左衛門といった人気作家たちが、浄瑠璃や人形浄瑠璃、歌舞伎などで石川五右衛門を題材にした多くの作品を創作した。これらの作品は”五右衛門物”と呼ばれ、一大ジャンルとなるほど人気を呼んだ。物語の中の五右衛門は、庶民からは一切金を盗らず、大名や悪どい金持ちばかりを狙って盗みに入る義賊であった。しかも乱暴狼藉はけっして働かないため、子分から慕われる優しくて頼りになる親分でもあるのだ。これで民衆に人気が出ないわけがない。なお、伸び放題のざんばら髪に、大どてらを着込み、キセルをくわえたおなじみの五右衛門スタイルも、この時代に定着したものである。前述した“伝説”も、創作物の中で描かれたものが多い。

●歌舞伎では定番の人気キャラクターに

 石川五右衛門が登場する歌舞伎で有名な演目は『楼門五三桐(さんもん ごさんのきり)』だろう。五右衛門は豊臣秀吉ならぬ真柴久吉という権力者に真っ向から反抗する正義のヒーローとして描かれている。京都の南禅寺で真柴に追い詰められた際に、楼門上でキセル片手に「絶景かな、絶景かな。春の宵は値千両とは、小せえ、小せえ」と言って大見得を切るシーンが一番の見所となっている。

 新歌舞伎では、十一代目市川海老蔵による『石川五右衛門』(2009年初演)や、六代目片岡愛之助による『GOEMON 石川五右衛門』(2011年初演)が話題になったのは記憶に新しい。

●アニメ、漫画、ゲームでは現在でも大人気

 その他にも古典の読本や落語などに登場するが、現代に入ってからも五右衛門の人気はいっこうに衰えていない。その証拠に小説や演劇はもちろんのこと、映画やTVドラマ、アニメ、漫画、ゲームなど、多岐にわたるさまざまなジャンルで、石川五右衛門に会うことができる。

 現代に石川五右衛門の名を広く知らしめた作品としては、やはりモンキー・パンチの漫画を原作にした『ルパン三世』シリーズを挙げないわけにはいかない。次元大介や峰不二子と一緒に怪盗ルパン一味として活躍する石川五ェ門は、本家・石川五右衛門から数えて十三代目になる末裔という設定だ。トレードマークは黒くて長い髪にさらしを巻いた着物姿と斬れ味抜群の日本刀で、ひょうひょうとしたクールなたたずまいが印象的だ。決めゼリフは「また、つまらぬ物を斬ってしまった」である。

 大人気のパズルRPGゲーム『パズル&ドラゴンズ』には、「石川五右衛門」 → 「天下の大泥棒・石川五右衛門」 → 「天下御免の大泥棒・石川五右衛門」へと3段階に進化するキャラが登場する。ボスを吹き飛ばせるほど強い火力を持っているという特長は、”釜茹で”にされて火に強くなったから? といらぬ想像もさせてくれる。

■まとめ

 希代の大泥棒として、これまで多くの作品に登場してきた石川五右衛門。徳川家が治めていた江戸時代の間こそ、前権力者の豊臣秀吉にたてつく反体制的なヒーローとして持ち上げられていた感があったのかもしれないが、今となっては関係ない。時代が変わっても魅力的なワルとしての確固たるポジションを築き上げた石川五右衛門は、これから先も変わらず愛されていくだろう。

本日の新着記事を読む