信長軍はめちゃめちゃ弱かった!? 戦国時代の「おもしろ新説」の画像
信長軍はめちゃめちゃ弱かった!? 戦国時代の「おもしろ新説」の画像

 いまだ加速し続ける戦国ブームの中、GWなどの長期休暇には各地の城跡などに観光客が訪れる。前回記事(https://taishu.jp/articles/-/59041)で信長や秀吉にまつわる奇説を紹介したが、各戦場にも奇説があった。

■「信長軍団=尾張兵」はめちゃめちゃ弱かった説

 戦国の世の最強軍団といえば、信玄が率いる武田騎馬軍団。ただ、信長率いる織田軍団は、結果的に天下を統一したわけだから、「織田軍こそが最強」という議論も成り立たないではない。しかし実際にはそれほど強くはなかった、というよりかなり弱かったという説が有力だ。

 尾張という土地は複数の急流河川が集まる土地。それゆえ、米作に適さない土地柄なのだ。尾張では米作にかわって桑づくりが主流となっていたが、桑、蚕、絹織物はすべて女性の労働によって成り立っており、男は女に養われていた。そのため尾張の男はいつも遊んでおり、足腰が弱かったという。鉄砲をいち早く取り入れたのも弱卒(じゃくそつ)が多かったせいという説もある。

■長篠の戦は武田軍の大勝利だった説

 織田・徳川連合軍と武田勝頼軍が真っ向からぶつかった「長篠の戦い(1575年)」は、新旧の戦術の違いを浮かび上がらせた画期的な戦いであったといわれている。あらかじめ丸太で三重の馬防冊を作った織田軍は、この馬防冊に向かって突進してくる武田軍を冊の影から鉄砲で狙い撃ち、武田軍は壊滅的な打撃を受けた。

 しかし、これは織田方のまったくの作り話という説もある。むしろ、戦場となった設楽原では、武田軍が優勢に戦いを進めていた。ところが、武田軍の内部に勝頼に見切りをつけ織田方に寝返るものが続出。形勢が逆転してしまったというのが真相らしい。

■刀は「叩く」武器だった説

 戦国の戦いにおいては、刀、槍、弓、石、鉄砲などが兵器として使われていた。まずは投石、弓、槍、刀の順に使われていったという。中心となったのは槍。甲冑など具足類が鉄や革になり、従来の刀では切れなくなったからである。刀はあくまでサブの武器。大刀2本(1本はスペア)と、小刀一本を持つのが一般的で、大刀は切るよりも敵を叩いて倒すための武器として用いられた。分厚い刃を持つ蛤刃という刀を使うことが多かった。また、接近戦で効力を発揮する短刀も重宝された。

■戦国時代の騎馬は“ポニー”レベルだった説

 戦国を疾走する馬が現在の競走馬のようなスタイルだったと考えるのは大間違い。当時の馬の丈の平均は133cm、日本の在来種であった道産馬や木曽馬が主流で足は太く短かかった。ポニー程度の大きさをイメージすると分かりやすいだろう。

 当時の男性の平均身長が157cm程度であったといわれていることから、ズングリタイプのほうが体にあっていたのだ。最高時速は40km程度だが、鎧武者を乗せていたため、実際は30km程度であったと考えられえる。これは、足の速い高校生クラスである。また、速く走る馬よりも、他の馬と協調しながら、主人の命令に従順に従う穏やかな馬が重宝され、武将達にはそれぞれお気に入りの愛馬があった。

 大河ドラマなどでの派手な合戦を見ると、ついロマンを馳せたくなるが。実はこのようなリアルな戦いをしていたのかもしれない。

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