■映画を撮っていることを大したものだって思わないようにしてるんです
僕はピンク映画出身なんですが、自分たちとしては普通の映画と同じように、ピンク映画でも面白さを伝えることができるというか、こういう映画ならではの冒険も実験もできるし、根性入れた作品もできると思ってやっていったっていうのは大きいと思いますね。
その経験から言うと、映画の前ではどんな映画も平等だと思うんです。そこに上下関係や優劣はない。ジャンルにおいても全部そう。予算の大小も関係ないと思うんですね。
そんな平等である映画の世界で長い間、仕事ができている、一度も監督を辞めたいと思ったことがないというのはありがたいですね。
助監督の頃はつらいし、やめたいと思うこともあったけど、それを乗り越えられたのは仲間がいたから。ギロチン社じゃないけど、一緒にバカやって酒飲んで。すべてがキレイでかっこいいことではないですよ。もちろん、そこには憎悪もあって、愛憎半ばです。みんなそうだと思いますよ。
でも、そういうのが自分の作品作りにも反映されると思いますよ。そういうことって、すごく人間っぽいじゃないですか。人間がそこにいる。そんな清潔な、キレイなだけの世の中じゃない。そういうことの記憶が、今の自分たちが作っている作品には、反映されていると思います。そこで経験した肌触りっていうか、ざらつき感を含めて、今も反映されていると思います。
マジメな話、自分たちのやっていることが大したものだって思わないようにしているっていうのはあります。
若松孝二監督が出した本のタイトルが『俺は手を汚す』だったんです。それだなって思うんです。映画作りって自分の手を汚しているわけです。
法律に反することをやりかねない場合もある。これ言い方が良くないですけど、ギリギリのことやっているんです。撮影行為自体が人様に迷惑かけることですよ。街中で撮っていたら人を止めて迷惑をかけるっていう、絶対人に迷惑をかけながら僕らはやっているわけであって、そんなに偉そうな、文化とか芸術とかそこまでのつもりでやるものではないと、どこかで思っているというか。
でもそこには、自分の生命とはいわないですけど、自分の気概をかけてやる価値は一方ではあるよ、ということかな、と。だからその両方のバランスっていうのはあるし、自分でも常にそう思っています。
できれば、これからもヤンチャでいたいなとは思いますね。おさまりたくないっていうか。それは、やっぱり、映画って若い人のものだと思うところがあるので、そういう意味では自分自身ヤンチャであり続けたいと思いますね。
瀬々敬久(ぜぜ・たかひさ)
1960年5月24日、大分県生まれ。高校時代、物理の教室に落ちていた8ミリカメラで学生映画を撮ったことから映画監督を志す。京都大学文学部哲学科に在学中、自主制作映画『ギャングよ、向こうは晴れているか』で注目され、大学卒業後、向井寛主宰の獅子プロに入り、助監督などを経験したのち、『課外授業 暴行』で商業監督デビュー。90年代、ピンク映画を中心に作品を発表。00年代からは活躍の場を一般作にも広げ、『ヘヴンズストーリー』でベルリン国際映画祭の批評家連盟賞と最優秀アジア映画賞を受賞。『64(ロクヨン)』二部作では、前編で日本アカデミー賞監督賞を受賞している。瀬々敬久監督作品『菊とギロチン』はテアトル新宿他にて全国順次公開。
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