80年代アイドル美女黄金白書
第4回 松田聖子
1980年は、“アイドル黄金時代の幕開け”ともいえる年だった。
70年代のビッグアイドル・山口百恵が、俳優・三浦友和との結婚を前提に、同年秋に引退することが予定されていた。
一方で、百恵というドル箱を失う所属レコード会社のCBSソニー(当時)にとって、後継者の育成は緊急の課題となっていた。また、他のレコード会社も“ポスト百恵”を狙った新人を用意。『ミス・セブンティーンコンテスト』をきっかけにソニー関係者にスカウトされ、サンミュージックに所属した松田聖子がデビューしたのは、そんな年の春のことである。
ただし、聖子は当初、イチオシの新人というわけではなかった。
実は、CBSソニー&サンミュージックには、聖子より2歳若く、2ヶ月早くデビューした中山圭子という別の有力新人がいた。ところが彼女は、予定されていたタイアップCMが広告主側の都合で放送NGになるという悲劇もあり、デビュー曲が不発に終わってしまう。そこで両社は方針を変更し、中山の売出しに早々と見切りをつけ、2番手扱いだった松田聖子を全面ブッシュすることになるのだ。
百恵の引退を半年後に控え、80年4月1日に『裸足の季節』でデビューした聖子のキャッチフレーズは、「抱きしめたい!ミスソニー」。“ポスト百恵”の本命待遇への格上げだった。
そして彼女は、周囲の期待を裏切ることなくスターダムにのし上がり、アイドル黄金時代の先駆者として80年代を走り続けていく。
「聖子がそれまでのアイドルと大きく違ったのは、仕事の充実と、女の歓びを同時進行で追求し続けた点。結婚を機にスッパリと仕事を辞めた百恵と比べ、自分の情熱に忠実な聖子の生き方は、実に革命的でした。また、それは女性からの支持を得ることになります」(芸能誌記者)
最初に噂された相手は郷ひろみ。この熱愛は後に公となり、数年を経て、結婚秒読みとも伝えられた。だが、ある日突然、終止符が打たれることに。聖子による涙の破局会見での言葉「生まれ変わったら一緒になろう」はあまりに有名だ。
「あの発言は、彼女のアドリブだった可能性が高い。それ以来、彼女は私生活をプロモーションに結びつけるようになりました」(前出・芸能誌記者)
恋の破局も仕事に生かす聖子は、その会見からわずか半年後に、別のオトコと結婚。相手は、テレビドラマ『太陽にほえろ!』に出演中の二枚目俳優・神田正輝だった。
「当時はまだ、裕次郎の存命中ということもあり、“石原軍団の一員”という肩書きのブランド価値は今よりも数段高かった。相手として不足なしの大物でした」(芸能事務所関係者)
この「聖輝の結婚」は、テレビの結婚式・披露宴の独占放送が34.9%(ビデオリサーチ・関東地区)を記録するなど、大きな注目を集めることになる。
80年代のメジャーアイドルのなかで最初に結婚した聖子に、引退という選択肢はなかった。出産を経て、87年に歌手復帰。第1弾シングル『Strawberry Time』がオリコン1位を獲得するなど、人気健在ぶりを証明。“ママドル”と呼ばれるようになる。
さらには、事業家としてブティック「フローレス・セイコ」も大成功させる。自由な生き方に憧れる女性ファンの多さが強みとなった。
仕事と私生活の両面で欲しい物をすべてに手に入れた感があったが、それだけでは満足しなかった。
「90年前後から米国進出をもくろむようになった聖子は、拠点をニューヨークに移します。また、それと前後して、俳優志望の青年やバックダンサーなど外国人相手の、“火遊び”が、幾度となく報じられました」(前出・芸能誌記者)
スキャンダル女王として、連日スポーツ紙、週刊誌の見出しを独占。この不倫騒動は泥沼化し、神田とはその後も夫婦を続けていたものの、結局、97年に離婚を発表した。
独身に戻ったものの、その翌年には6歳年下の歯科医と交際わずか2か月で結婚。「ビビっと来た」という名コピーを残す。
ところが、スキャンダル女王は再婚後も落ち着くことがなかった。新たな噂の相手は、ミュージシャンの原田真二。この頃の聖子は原田をツアーに帯同。ステージ上で顔を寄せ合いデュエットするなど、親密な仲を想起させるパフォーマンスを堂々と公開していた。ホテルでの密会も報道された(原田は完全否定)。
一方で2000年9月、元恋人・郷ひろみとのデュエット曲をリリース。「焼けぼっくいに火がつくか」とマスコミは色めきだった。こうした公私をからめた話題作りは彼女の真骨頂ともいえた。なお、再婚相手の歯科医とは、その直後に離婚している。
そんな聖子も、2019年3月で57歳。2011年に娘の神田沙也加との『NHK紅白歌合戦』での母子共演、2012年に別の歯科医と3度目の結婚以降は、私生活にからんだ新しい話題がない。
「最近は、ジャズライブの料金が高すぎるという話題があったぐらいで、スキャンダラスなネタもごぶさた。そろそろ、恋愛がらみの大きな爆弾投下が欲しいところですが……」(女性誌記者)
スキャンダル路線は打ち止めとなっても、彼女は定期的に新譜をリリースし、アリーナクラスの会場でコンサートを開催し続けている。そんな80年代アイドルは他にいない。デビューから38年、今も松田聖子は偉大なるトップランナーなのである。
80年代アイドル美女黄金白書
- 第1回 小泉今日子小泉今日子は“過激路線”で80年代アイドル不動の地位を築いた
- 第2回 中森明菜中森明菜“悲劇の歌姫”は80年代から現在をどう走り抜いたか
- 第3回 森高千里森高千里は現在に連なる「美脚&コスプレアイドル」の元祖!
- 第4回 松田聖子松田聖子は「仕事の充実」と「プライベートの謳歌」両方を追求し続けたトップランナー
- 第5回 薬師丸ひろ子薬師丸ひろ子「安売りしないプレミアム感」が特別な80年代アイドルたらしめた
- 第6回 武田久美子武田久美子“貝殻ビキニ”以前の知られざる過去
- 第7回 三田寛子三田寛子「未来の人間国宝」の嫁は80年代最大の勝ち組!?
- 第8回 中山美穂中山美穂「エッチ路線」担当アイドルからパリのマダムに
- 第9回 堀ちえみ堀ちえみ「ドジでのろまなカメ」はママタレとして芸能界で歩み続けた
- 第10回 松本伊代松本伊代「女子大生ブーム」に見事に乗った都会派アイドル
- 第11回 南野曜子南野陽子が「アイドル」から「女優」になるために必要だった衝撃の仕事
- 第12回 三原順子三原順子、“ヘア写真”をリリースした唯一の国会議員
- 第13回 菊池桃子菊池桃子「アイドル誌の雑誌名にもなった」圧倒的な清純性
- 第14回 森口博子森口博子は現在隆盛の「バラドル」のパイオニアだった
- 第15回 長山洋子長山洋子「美人演歌歌手」のアイドル時代を知っているか!?
- 第16回 早見優早見優、初代『Mステ』MCだった、初の“バイリンガルアイドル”
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- 最終回 宮沢りえ宮沢りえ、常識を打ち破った80年代最後のトップアイドル
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