縦横無尽のギャグと鋭い風刺で、テレビを席巻し続けるビートたけし。彼の最大の武器は、本質をズバリついたコトバだろう。これまで、たけしが世に放ってきた珠玉の金言をフラッシュバック!
バカヤロー! コノヤロー!
(本人の口癖より)
「ダンカン、バカヤロー!」
「ラッシャー、コノヤロー!」
よく耳にするお決まりのフレーズだ。たけしは東京の下町、足立区の出身。父親はペンキ職人だったという。こうした環境によって彼の口癖となったと想像することもできるが、「バカヤロー、コノヤロー」の謎を解く鍵は、浅草時代にあるようだ。
明治大学を中退しフーテンとなったたけしが、浅草で芸人の道に入ったことは有名だ。その著書『浅草キッド』(新潮文庫)では、芸人修業時代の話が瑞々しく語られているが、たけしは浅草のストリップ小屋である「フランス座」で芸人のキャリアをスタートさせる。のちにツービートの相方となるビートきよしとも、このフランス座で出会った。
当時フランス座でたけしに芸人のいろはを叩き込んだのが、深見千三郎という芸人だった。たけしが「オレの師匠」と呼ぶ伝説の浅草芸人だ。
深見は1923年(大正12年)生まれ。高等小学校を卒業し上京、一時京都の太秦で修行を積んだこともあったというが、生涯を浅草芸人として過ごした。たけしは深見の“最後の弟子”といった立場だったようで、ストリップの幕間に演るコントを学んだ。芸達者で粋だったという深見の口癖が、この「バカヤロー、コノヤロー」だったという。
深見にとって「バカヤロー、コノヤロー」のフレーズは、会話の“接頭語”のようなものだったようだ。
「師匠、お昼出前に何とりますか?」
「バカヤロー、コノヤロー。かつ丼」
「師匠、腹減りましたね」
「バカヤロー、コノヤロー。寿司でも食いに行くか」
といった具合。これが、たけしにも受け継がれたのではないか。
師匠の深見を深く慕っていたたけし。深見がボヤを出し、住まいのアパートで焼死したという知らせをテレビ局の楽屋で聞いたときは、絶句して数分間動けなかったという。そして、急に部屋の隅に行き、深見にならったタップダンスを無言で踏み続けたという。
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