有働由美子アナウンサー
有働由美子アナウンサー

 知性的でクールなあの人も、私生活では!? 平成を彩った騒動をプレイバック!

 新元号は「令和」に決定。残りわずかになった平成を、女子アナのスキャンダルとともに振り返りたい。

 “昭和最後の日”となった1989年1月7日に離婚届を提出したのは『ニュースステーション』(テレビ朝日系)のキャスターだった小宮悦子(60)。「当時、司会の久米宏と小宮のコンビは絶大な人気があった。彼女の美脚、落ち着いたアルトの声でカメラ目線になって語る姿は男性視聴者のハートをわしづかみにしたものでした」(芸能記者)

 人妻だった“悦ちゃん”が系列局スタッフと“お手々つないで朝帰り”する姿を激写され、離婚を余儀なくされたのが、昭和最後の日だったというわけだ。

「その後、平成になって彼女は『Nステ』の年下のディレクターと再婚しますが、今度は旦那の浮気が原因で2度目の離婚。男運の悪さは否定しようがありませんでしたね」と言うのは、女子アナウォッチャーの丸山大次郎氏。ともあれ、小宮の離婚とともに平成は始まった!

 昨春、NHKを退社してフリーになった有働由美子(50)も、00年夏に恥ずかしい事件を起こしている。カツラとサングラスで変装した有働が、横浜・石井琢朗選手(当時)宅を訪れる様子を、写真誌にスクープされたのだ。

「彼女は“借りていた本を返しに来ただけ”と苦しい弁明。でも、合い鍵を持っていたことといい、変装したことといい、深い仲だったことはバレバレでした。ま、アフロっぽいカツラにサングラスで、悪目立ちするあたりが有働サンらしいとも言えますが(笑)」と当時を振り返るのは芸能ライターの織田祐二氏。その直後に、石井はフジの荒瀬詩織アナと再婚。踏んだり蹴ったりだったが、そこも有働らしい?

 一方、女子アナの略奪婚として有名なのが、フジテレビの人気アナだった近藤サト(50)と歌舞伎役者の故・坂東三津五郎(当時は八十助)の不倫騒動だ。世間の批判をものともせず、98年に八十助と入籍した彼女だが、わずか2年で破局。離婚会見で彼女は「子どもを作ることを周りに阻まれたのは、私にとって理解できないことでした」と語ったが、「八十助と前妻の間に跡取りの長男がいたため、贔屓筋は夫婦生活にまで干渉したらしい。梨園の妻の壁は、それほど高かったということでしょう」(前出の丸山氏)

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