野村克也
野村克也監督

 2月11日、不世出の野球人・野村克也監督が心不全で息を引き取った。84歳だった。

 三冠王となり、本塁打王に9回も輝くなど、選手として傑出した成績を残した野村氏だが、監督としての手腕はさらに抜きんでていた。その野村監督の下で、ヤクルト打撃コーチとして3度のリーグ優勝、2度の日本一に貢献。その的確な指導で数々の大打者を育て上げ、「伊勢大明神」と呼ばれた伊勢孝夫氏(75)が、ノムさんへの追悼メッセージと、愛妻・サッチーこと沙知代夫人(2017年没。享年85)の意外な一面について語ってくれた。

「ノムさん流の育て方といえば“無視、称賛、非難”。非難されて一人前ということやけど、ワシもよう怒られた。“球種のデータをまとめろ”と言われて、“打撃コーチの仕事じゃないでしょ”と言ったら“それも仕事や!”と怒鳴られたりな(笑)。でもおかげで、本当にいい勉強をさせてもらった。キャンプの時にノムさんが白板に書いたものを、まとめたノートは大事に取ってある。

 ワシは今、大阪観光大学で野球を教えてるんやけど、いつもそのノートをもとに生徒たちに伝えている。30年経っても通用するんから、凄いこと。75歳になった今でも野球に携われるのはノムさんのおかげ。本当に感謝しかない」(伊勢氏)

 沙知代夫人に関して、ノムさんは普段から話題にすることはあったのだろうか?

「ワシらコーチ陣にはあまり沙知代さんのことは口にせんかった。たまに“うちのはキツいからのぅ。B型同士だからよう衝突するんや”ってボヤいてた。それも照れ隠しやったと思うけどな。

 ノムさんに用事があって自宅に昼過ぎに電話をすると、決まって沙知代さんが出たな。“5時くらいに起きますので、伊勢さん、また電話してやってください”と、沙知代さんは本当に丁寧な方だった。

 ノムさんが色紙とかに書いてた言葉や四字熟語なんかも、あれは沙知代さんがいろんなお寺に足しげく通って、住職に話を聞いていたものを参考にしていると聞いたことがある。世間のイメージは鬼嫁とか、カカア天下やと思うけど、ノムさんは沙知代さんのことを信頼していたんやろうな。

 ノムさんとは長いこと会っていなかったんやけど、本当に寂しい。今は大阪に住んでいるから、誰もいないグラウンドで東のほうを向いて手を合わせたよ」

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