白石麻衣『パスポート』に見るアイドルでいつづけることの難しさの画像
※画像は『白石麻衣写真集 パスポート』(講談社)より

アイドルの肖像 —— 写真集から考える

第4回 白石麻衣『パスポート』後編

■写真を所有することで何を手にしているのだろうか?

 それにしても、私たちはなぜ何度も同じ写真を見つめることができるのだろうか。飽きないのはなぜだろうか? 実は、このことは写真の極めて本質的な問題である。哲学者のロラン・バルトの言葉を借りてみよう。彼は、亡き母の姿を写真に求めるも、どの写真も彼の知る母をとらえてはいないと考える。しかし、探し当てたたった一枚の特別な写真には求めていたそれがあった。

 その瞬間にバルトは「これこそ母だ! 確かに母だ! ついに母を見つけた!」と叫んだ。そして、次に、よく眺めることでもっとよく理解したいと願い、真実を知るためにその顔を引き伸ばそうとし、実際に引き伸ばしてみたりしている。

 彼は、そんなおかしな行動にでたその理由を、写真が「それはかつてあったということを示している」からだと述べている。つまり、「あった」ということは、その存在の証明であり、バルトは細部を見つめることで印画紙の奥に入っていって母それ自体と再会できるという妄想に駆られたのである。

 この話は確かに馬鹿げてはいるけれど、どこかで理解できなくもないのではないだろうか。バルトによれば、母の写真を見つめるのをやめられないのは、「ときおり手が届きそうになり、もう少しのところまでいく」からである。

 そして、この感覚を抱く時は、決まって「似ている」と感じるのだと述べている。似ているというのは、つまり本人に一致しているということである。

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