■本誌だけに語った、志村けんさんの意外な本音? 

1位 志村けんが「本当に認めていた」お笑い芸人2組の名前

 新型コロナウイルスによって命を落とした志村けんさん(享年70)。笑いの天才は何度も『週刊大衆』に登場し、面白トークを聞かせてくれた。『週刊大衆』では、日本のお笑い界に遺した偉大な功績を振り返りつつ、編集部に語ってくれた、ここだけの話と知られざる一面を紹介する。

 志村さんは、芸能界の流れにも敏感で、いつも笑いの才能のある人材を探していた。17年8月7日号『あなたに会いたい!』では、「基本的にネタ番組はオレ全部見ていると思うよ」とコメント。

「好きなんだよね、『千鳥』の漫才が。彼らのお笑いは職人芸なんだよ。『タカアンドトシ』も俺は好きで認めているね」(18年9月3日号)

 後輩芸人を評価し、公私にわたって応援していたのである。このような笑いに対する意欲的な姿勢が、新しいアイデアを生む。そんな志村さんには、画期的な発明が少なくとも2つある。

「じゃんけんの『最初はグー』の元祖が志村さんだというのは有名な話。あれは、飲み屋で酔っ払い同士が、じゃんけんをするときに、タイミングが合わないことから考案されたものだとか」(スポーツ紙記者)

 また、世界的な動画サイト・ユーチューブの源流にも、志村さんがいるのだ。

「『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』(TBS系)のスタート時、志村さんが、視聴者が撮った面白ビデオを紹介するコーナーの企画を発案。結果的に、それが番組の人気コーナーになったんです」(前同)

 当時はまだ、名もなき市井の人々が撮った動画を面白がる文化は世界のどこにもなかった。

「やがて、その企画は海外のテレビ局にも着目され、世界各国に輸出された。特にアメリカ版は、89年から30年以上にわたって放送されており、今では、ユーチューブの始祖だと認識されています」(同)

 新しいもの好きで、酒に強く若い娘にモテモテだった志村さん。心から冥福をお祈りします。

(2020年4月5日 配信)

あわせて読む:
・志村けんが「本当に認めていた」お笑い芸人2組の名前
・明石家さんまフジ特番の”ヤラセ"に創業400年高級老舗旅館大激怒!!
・木村拓哉、工藤静香との“夫婦ショット”解禁に賛否!「えぐい」「これはダメ」

  1. 1
  2. 2
  3. 3
  4. 4