ただ、本来は穏健な人物で、年長者としてハードスケジュールに辟易するメンバーをまとめていたという。おニャン子は、新田派、国生派に分断されていたというのが今は定説化しているが、近年の新田恵利(会員番号4番)の証言によれば、新田派は中島美春(会員番号5番)、永田ルリ子(会員番号18番)、国生派は国生さゆり(会員番号7番)と福永恵規(会員番号11番)だけで、あとは中立といえる「立見派」だったという。

 大学に通っていた立見は、おニャン子を1987年4月5日に卒業。そして、ポニーキャニオンに就職した。そこで、おニャン子の後輩である工藤静香(会員番号38番)のプロモーションも担当したという。また、その後、出版業界に転じ編集者として活動。最近は、自ら化粧品をプロデュースしつつ、そのPRも兼ねて芸能活動を再開。ニャンギラスの仲間である白石麻子(会員番号22番)らとライブを開催するなどしている。

(文/ミゾロギ・ダイスケ)

立見里歌

1965年11月14日生まれ、東京都出身。T157。A型。東海大学の1年生だったときに「ミス東海大学」となり、それがきっかけで「オールナイターズ」の一員として、深夜番組『オールナイトフジ』(フジテレビ系)にレギュラー出演。1985年4月19日に『夕やけニャンニャン』(フジテレビ系)の「ザ・スカウト アイドルを探せ!」で史上最高の142点で合格し、おニャン子クラブのメンバーに(会員番号15番)。グループとしては、1985年7月5日に『セーラー服を脱がさないで』で歌手デビュー。以後、人気が爆発し国民的アイドルグループに。全国コンサートツアーを行い、当時のアイドルとしては画期的なスタジアム公演も成功させる。また、86年には映画『おニャン子ザ・ムービー 危機イッパツ!』に主演。個人としては、樹原亜紀(会員番号6番)、名越美香(会員番号9番)、白石麻子(会員番号22番)と「ニャンギラス」を結成。1986年4月1日にシングル『私は里歌ちゃん』をリリースし、オリコン週間チャート1位に。おニャン子卒業直前の1987年3月18日には『そんなつもりじゃなかったのに/立見の青春』でソロデビュー。1987年3月30日に樹原、国生さゆり(会員番号7番)、内海和子(会員番号12番)、高井麻巳子(会員番号16番)とともにおニャン子を卒業。ポニーキャニオンに就職するが、その後、出版業界に転職。おニャン子クラブの同窓会、再結成の機会にはほぼ参加。2017年に無添加コスメ「イポラニ」をプロデュースするとともに、芸能活動を本格再開している。

アイドルグループ「最年長メンバー」列伝

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