■活動休止の際も尽力した櫻井
「こうした関係が顕著に出たのが、19年1月27日の活動休止発表でした。翌日の『newszero』で、当日の状況について、櫻井は当日昼に大野に連絡し“何かあったら僕が必ずフォローするので安心して会見をしてほしい”と話していたことを明かしています」(前出の女性誌記者)
会見で嵐が活動休止を考え出した17年の時点では、大野は「嵐から離れて自由な生活がしてみたい、そのためには事務所を辞めなければならないのではないか」と考えていたことを明かしていたが、これについても櫻井は『zero』で、
「17年6月においては、(解散は)チラつきはしましたけど、なんとかそれを回避してみんなが納得するところに着地させなければならない。おそらくそれは自分の役割だと思っていました」
と話していた。櫻井がまとめていなければ、嵐は活動休止ではなく大野脱退を経て解散していたかもしれない。そう考えると、櫻井はやはり非常に重要な存在だったと思われる。
嵐のリーダー・大野と影のリーダー・櫻井。この2人の“山コンビ”で支えてきた嵐。活動休止後、両者はいったい何を語りあうのだろうかーー。