中沢健(撮影・弦巻勝)
中沢健(撮影・弦巻勝)

 僕が「作家になりたい」という夢を抱いて、文章を書き始めたのは、5歳の頃。小学生になっても、その思いは持ったままでしたが、5年生のとき、竹下龍之介さんという小学生が作家デビューしたことを知ったんです。「作家って、小学生がなってもいいんだ!」とうれしくなって、それから頑張って原稿用紙50枚を超える小説を書いたんですよ。我ながらスゴイと思って、同級生には「俺、夏休みの間に作家デビューしてるから」なんて豪語していました(笑)。

 その後も小説は書き続けて、国語教師をしていた母には、よく読んでもらっていました。当時、僕は那須正幹先生の児童文学『ズッコケ三人組』シリーズが大好きで、書いた小説の中には、パクリのような作品も多々ありました。母に「面白い」と言ってもらえるのは決まってそれらだったので、なんとも複雑な気分になったものです(笑)。

 作文コンクールなんかで毎回のように賞を取っていたので、文才があると自負していたんですが……結局、小学生どころか、高校卒業の段階でも作家デビューはできなかった。正直、かなりの挫折感がありました。

 それから大学進学と同時に上京。作家になる夢は諦めず、自宅にこもって小説を書き続けていました。

 でもあるとき、気づいたんですよ。“せっかく東京に出てきたのに、これじゃ茨城の実家にいたときと何も変わらないじゃないか!”って(笑)。

 そこで、「じゃあ作家志望の人間に、何かできることはないのか」と考えました。ミュージシャンなら、自分の音楽を路上で演奏して伝えますよね。それを見習って、服の前後に、自作の小説や詩、俳句、イラストなどを貼りつけて、「歩く雑誌」として街中を歩くことにしたんです。目的は、多くの人たちに自分の作品を見てもらうこと。やがて、もっと周囲の人の気を引くために、“動く待ちあわせ場所”と書いた紙を、頭に被るようにもなりました。

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