■百済の王が鏡を贈って接近を画策していた!?

 一方、隅田八幡神社(和歌山県橋本市)が所蔵する国宝の銅鏡に〈癸未年〉で始まる四八文字が刻まれ、これを西暦五〇三年とし、その中に含まれる「男弟王」を「ホド王=継体」と解釈し、大和の忍坂宮(桜井市)にいた継体に当時、百済(朝鮮)の武寧王が鏡を贈ったという説もある。

 その年は武烈天皇の父とされる仁賢天皇の治世で、しかも、百済の王が外交相手に鏡を贈ったとすれば、継体はすでに当時、皇位継承者と見られていた可能性も高い。

 とすると、継体が地方の豪族だったはずはなく、仁徳朝の皇統のどこかにつながる王だったようにも思える。

 おそらく皇族の一人とはいえ、傍流に位置し、近江や越前などの地方の豪族に養育される立場だったのではないだろうか。

 仁賢に続いて即位した武烈が、『日本書紀』に凶暴性が記されている通りの天皇だったとしたら、早くからその後継として継体が期待され、百済の王もそれゆえ、彼に接近を図ろうとした可能性もある。

 もしそうなら、武烈の崩御後に政権内の派閥争いなどで皇位継承に混乱が生じたのかもしれない。

 はたして仁徳と継体の両天皇の王朝は、どんな関係だったのか。

 今も邪馬台国論争とともに大きな古代史の謎となったままだ。

●跡部蛮(あとべ・ばん)1960年、大阪府生まれ。歴史作家、歴史研究家。佛教大学大学院博士後期課程修了。戦国時代を中心に日本史の幅広い時代をテーマに著述活動、講演活動を行う。主な著作に『信長は光秀に「本能寺で家康を討て!」と命じていた』『信長、秀吉、家康「捏造された歴史」』『明智光秀は二人いた!』(いずれも双葉社)などがある。

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