■師と仰いだ高倉健と深作欣二
本誌連載の構成を担当するライターの米谷紳之介氏は、千葉さんの人柄を次のように語る。
「ひと言で言えば、礼儀正しく、誠実な方でした。取材の際、特上の鰻重を全員にふるまい、“自分で作ったんだ”と、自家製の漬物まで出してくださったこともありました。誰が相手であれ、常にそうした気配り、優しさがありました」
その一方で、燃える役者魂は年齢を重ねても衰えることはなかった。
「高倉健さんと深作欣二監督を人生の師と仰ぎ、健さんからは役者としての覚悟や礼儀を、深作監督からは演出のイロハと、最後まで妥協しない映画作りの姿勢を学んだそうです。50歳を過ぎて俳優活動の拠点をハリウッドに移し、日米を行き来するようになりましたが、“行ってこい”と背中を押したのも健さんと深作監督でした」(前同)
現地で英語を学び、グリーンカード(アメリカ永住権)も取得した千葉さんは、クエンティン・タランティーノ監督の『キル・ビル』など、数々のハリウッド映画に出演している。
2か月前の本誌の取材でも、意気軒高だった。身振り手振りを交え、映画への思いを熱く語った。
「私はアメリカで役者として成功したかったわけじゃありません。ハリウッドと組んで日本映画を作りたい。それも武士道をテーマにした映画を! 誰かが、それくらいやらないと、日本映画はどんどん衰退し、世界から取り残されますよ」
すでに脚本はできあがり、映画化に向けて動き始めた矢先の無念の死だった。
だが、千葉さんの志は、息子で俳優の2人、新田真剣佑と眞栄田郷敦が受け継いでくれるはずだ。千葉さんも今年7月、『週刊女性』の取材で、長男の真剣佑が出演した『るろうに剣心 最終章 The Final/ TheBeginning』を見て「『俺を超えたな』と思える役者が出てきた」と話している。
「千葉さんは、“(息子2人は)アメリカで育ったから、英語をネイティブで話せるのは大きな強み。日米で成功して、自分が企画したハリウッド映画にも出演してほしい”と、才能ある息子たちの将来に期待していました」(米谷氏)
世界を魅了した侍アクションスターの役者魂は、次の世代へ引き継がれていく。