古澤巖(撮影・弦巻勝)
古澤巖(撮影・弦巻勝)

 ヴァイオリンを始めたのは3歳半の頃。ウチの母はなぜか“僕が左利きだから”という理由で楽器をやらせようと思ったらしいんです。

 でも、ヴァイオリンはもともと右利きの人のために作られています。だから、母が言うには、先生から「諦めるか、人の3倍練習するしかない」と言われたとか(笑)。

 もっとも、3歳の頃のことなんて、何にも覚えていません。僕は母に言われるがまま、レッスンを受けに行っていただけだったと思います。

 結局、ヴァイオリンを続けた僕は音楽大学に進み、幸い、海外で勉強をする機会にも恵まれました。でも音大を出たからといって、演奏で食べていけるわけではありません。ましてや当時、1980年代の日本のクラシック界には、日本人の演奏家のソリストとしての市場は、ないに等しい状態でした。例外的に、ピアノの中村紘子さんやヴァイオリンの前橋汀子さんが活躍されていたくらいで、あとはほぼ外国人のマーケット。現在の高嶋ちさ子さんのような存在はいなかったんです(笑)。

 では、どうしてそれから30年以上、ヴァイオリン弾きとしてやっていくことができたのか? その一つの大きなきっかけになったのは、26歳の頃、ある音楽のキャンプイベントで講師のバイトを務めたことです。

 そのとき、受講生の中に、皆様ご存じの葉加瀬太郎くんがいました。当時、彼はまだ大学1年生。僕は8歳年上なのですが、会った瞬間に「あ、この人だ!」と直感的に思ったんですよね。だから、そこで「君とバンドを組みたい」と誘いました。

 なぜ、そんなふうに思ったのかは自分でも分からない。恋愛にしてもそうですが、人との出会いって、そんなものかもしれません。

 葉加瀬くんと出会ってからの僕は、クラシック界で誰もやっていなかったことを取り入れる実験をしていきました。ロマ音楽を取り入れ、照明に凝ってみたり、衣装で遊んでみたり、合間にトークをしたり……。

 最初はニーズがなかったのですが、だんだんと喜んでいただける人が増えてきた。自分たちで市場を作っていけたんですね。

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