亀井静香(撮影・弦巻勝)
亀井静香(撮影・弦巻勝)

 政治家になる。政治家にならなきゃいけない。おかしな方向に行こうとしている日本を、自分の手でなんとかしなきゃいけない――。

 そんな義憤に駆られ、衆議院議員選挙の広島3区から立候補したのは、42歳のときだった。

 当時は検察庁にいて、極左を取り締まる責任者を務めていたが、警視正のバッジを外し、とっとと脱走した。尊崇してやまない、大塩平八郎やチェ・ゲバラのように、命賭けで戦う覚悟はできていたよ。

 とはいえ、広島と島根の県境近く、山奥の集落で生まれ育った俺には、地盤もなければ、後援会もない。ついでに言うと、金もない(笑)。あるのは熱い思いと、両親が頑強に産み、育ててくれた、この体ひとつだけ。

 だから、当然のように周りからは反対された。「おまえが受かりっこないだろう」「落選したら明日からどうやって飯を食っていくんだ?」なんて、もう非難轟々だった。

 当時の広島は、宮澤喜一先生が絶対的な力を持っていて、俺なんか鼻クソのような存在だったから、まぁ、それもしかたがなかったんだよね。

 実際、俺があいさつに行っても、みんな戸を閉めて出てこない。それでもめげずに、「亀井です。今度、立候補した、亀井静香です!」って、がなりながら戸を叩いていたら、丼いっぱいの塩を頭からぶっかけられたこともある。そりゃもう、ひどいもんだったよ。

 それでも俺は、「無理だ」とは思わなかった。いつだってプラス思考。誰も俺を信じてくれなくても、俺は俺を信じている――。さすがに“この俺が通って当然だ”とまでは思わなかったけどね。そこまで世の中を舐めてはいなかったから。それでも、“当選してやる!”という思いは、一度もぶれることはなかった。

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