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「闇社会の守護神」田中森一氏 本誌だけが知っている「遺言」のすべて

[週刊大衆12月15日号]

"犯罪者"のレッテルを貼られた「元・特捜のエース」が、壮絶ながん闘病の最中に綴った"ラストメッセージ"に込めた思いとは――?

「死して後已(や)む、亦(また)遠からずや(死ぬまで行い続ける。命ある限り努力してやめない)」――この論語を反芻しながら病魔と闘った一人の男が、この世を去った。
東京、大阪両地検の元特捜部検事・田中森一(もりかず)氏が11月22日午前6時52分、都内の病院で永眠した。享年71。
「眠るように息を引き取り、安らかな死に顔でしたが、まだやり残したこともあっただけに、さぞや無念だったでしょう」(関係者)
故人の意志により、すでに親族だけで密葬を済ませ、お別れの会などを営むかは未定だという――。

1943年、長崎県平戸市の貧しい漁村に生まれた田中氏は苦学の末、岡山大学在学中に司法試験を一発で突破。
71年に検事に任官すると、特捜部時代にはロッキード事件以来の政界汚職となった撚糸工連事件、平和相互銀行事件など数々の捜査を手掛け、自供を引き出す才能から「割り屋」「特捜のエース」と呼ばれた。
「田中氏はバブル全盛期の88年に弁護士に転身し、96年の住専(住宅金融専門会社)国会で有名になった末野興産の社長、また、仕手集団を率いる大物相場師など、名だたる"バブル紳士"たちの顧問弁護士に就任。安倍晋三首相の父・安倍晋太郎・元外相が率いた清和会の顧問も担当し、政治家とのつきあいも深めていった」(全国紙社会部記者)

その中でも、田中氏の名を一躍、世に知らしめたのが、数々の裏社会の大物たちとの親密な関係だった。
97年に射殺された五代目山口組の宅見勝若頭、戦後最大の経済事件と言われるイトマン事件の主犯・伊藤寿永光受刑者、"地下経済のフィクサー"と呼ばれた許永中氏らと親交を深め、いつしか「闇社会の守護神」が、その代名詞となった。
「大企業は法務部の社員が窓口で、直接社長と話をする機会はなく、面白くない。バブル紳士たちは貧困や差別から這い上がってきた連中が多く、話には生身の経験から出た魂が宿っている。彼らと仕事ができたのは男冥利に尽きる」
かつて、自らの代名詞を半ば自負するように、そう語っていたという田中氏。

だが、華やかな栄光から一転、その人生は暗転する。
「闇社会の番人と持てはやされた田中弁護士の敏腕ぶりが、次第に古巣の地検特捜部の癪に障り、いつしか、その逮捕が至上命題となっていった」(前出・社会部記者)
田中氏は2000年、石油卸商社・石橋産業を舞台にした約200億円にも及ぶ巨額の手形詐欺事件で、共謀したとされた許永中氏とともに、東京地検特捜部に逮捕されることになる。
「保釈中の07年、アウトローとの交流や検察の体質などを赤裸々に綴った自叙伝『反転』(幻冬舎)を発表。30万部を超えるベストセラーとなった」(出版関係者)

がん闘病の最中に遺作を執筆

この頃を境にして、田中氏は晩年まで相次ぐ苦難に襲われることになる。
一貫して身の潔白を訴えるも、08年2月、石橋産業事件で懲役3年の実刑判決が確定して収監されると、2か月後、今度は大阪地検特捜部に別の詐欺事件で逮捕され、またも懲役3年の実刑が確定。弁護士資格を失い、4年8か月に及ぶ服役を余儀なくされたのだ。
「それくらい当時の検察幹部の一部は田中さんに恨みを抱いていたし、逆に言えば、田中さんの著書や発言が検察批判の核心を突いていたということでしょう」
田中氏が収監される前、別件逮捕の可能性を直接、指摘したというジャーナリストの田原総一朗氏は、異例の逮捕劇をこう振り返る。

服役中にがんを宣告され、"獄中手術"の試練にも直面した田中氏だったが、詐欺師の汚名を返上するという一心で、一昨年の11月、滋賀刑務所から生還。
以降、服役中に心の支えとなった論語の普及や社会貢献に努めてきたが、今年2月に再発が判明。闘病の末、帰らぬ人となった。
「石橋産業事件は無実で、やましいことは何一つないということを世の中に伝えたかったのと、法律家として自らが信じる正義とは、いったい何か、これを世間の人たちにわかってほしかったんだと思います」
訃報を受けて、こう明かすのはノンフィクションライターの根岸康雄氏だ。

実は田中氏は死の直前である9月25日、『遺言-闇社会の守護神と呼ばれた男、その懺悔と雪辱』(双葉社)を上梓。根岸氏は遺作となった同書の取材及び、構成で田中氏をサポートし、壮絶な闘病の一部始終に間近で接したという。
「『遺言』の作業は田中氏が胃がんを再発させ、入院治療をして退院する4月下旬から再入院するまでの7月中旬の約3か月間にわたり、週に2~3回、1度に30分~1時間ほど、体が悲鳴を上げる中で、まさに命懸けのものでした」(根岸氏)

満身創痍の田中氏を突き動かしたものは何か。また、ラストメッセージに込めた思いは、なんだったのか。
その一つが根岸氏の指摘どおり、自身の名誉回復だったことは同書にくわしいが、それは同時に法律家としての矜持、そして、人としてのあり方でもあった。

〈私は法律というスコップを手にドブ掃除をしてきた。盗人にも三分の理、その三分を強調してやることが弁護士として、被疑者の人権を守ることにつながる。(中略)ときには法律を犯しても大切なものがあるのだ。清流に魚は棲まない。きれいごとのみで世の中は上手く回らない。ヤクザの存在は必要悪である。何ごとも事件が起こってからでは遅い。大切なことは事件になる前に未然に防ぐことである。そんな掟を自ら定めた一人の男が法曹界で生きてきた。その掟を正義とするのか、それとも悪とするのか〉
(『遺言』第七章より)

弁護士としての一線を越えたと猛省する一方、独自の正義感を持つ田中氏は法曹界にあって、稀有な存在だった。同氏との共著もある作家の宮崎学氏は、「本来は彼のような法律家こそ必要」と語り、こう続ける。
「やはり司法と人情というのは密接に関係していると思うんです。人情味のある司法の運用がなされた場合、人は反省しやすいし、被害に遭った人も理解しやすいと思うんです。罪を憎んで人を憎まずという司法の在り方の原点に回帰し、法律に血や涙を注ぎ込むような司法官がいなくなった昨今、田中さんは人情味の機微を大切にした本物の法律家でした」
宮崎氏の指摘どおり、田中氏は最後の一瞬まで、自身が描く理想の法律家像を貫いた。その証拠が、今秋から本誌で開始予定だった"幻の連載企画"である。

叶わなかった許永中との再会

田中氏は人情味溢れる法律の解釈と正義を形作る論語を基に、〈人生に響く「論語」でズバリ回答! 行列のできるトラブル相談所〉のタイトルで、読者に生きる知恵を説くはずだった。
「田中さんは、本当の悪人とは法に反すると同時に自分の良心に反する、つまり、自分自身を偽るような行動を取る人間だと考えていました。自らに嘘がなければ、悪人とは言えないと。こうした考え方も私と合っていたし、気さくな人柄でもあった」(宮崎氏)

一方、田中氏のラストメッセージには、遺作で〈私の人生の中でも特別な友人〉とまで言い切る許永中氏に向けたものもある。
かつて許永中氏が保釈中に失踪した際、密会していた事実を同書で初告白した田中氏は、盟友との再会を心待ちにしていた。
それは叶わなかったが、運命のいたずらか、ここにきて、彼に関する注目情報が急浮上している。
「イトマン事件と石橋産業事件で長期服役したのち、一昨年に自らの希望で母国・韓国へと移送され、仮釈放で14年ぶりに娑婆に復帰した許永中氏は、この9月に刑期満了を迎えて、晴れて自由の身になった。日本への入国は事実上、困難と見られるが、ここにきて再始動が囁かれ始め、一説には彼の"復活"に密着した年末特番が放送される噂も」(ジャーナリスト)

極貧、エリート特捜検事、闇社会の守護神、獄中生活と、がん闘病……波瀾に満ちた数奇な人生を駆け抜けた田中氏の死が、各界に与える影響は今も絶大だ。
「論語の普及はもとより、苦学をした経験から、返済不要な奨学金制度を確立し、法曹界を志す若者の支援を目標にしていました。それこそが亡き両親、故郷への恩返しにつながると考えていただけに残念でなりません」(前出・根岸氏)志半ばで病に倒れた闇社会の守護神と呼ばれた男。波瀾万丈の生涯を全速力で駆け抜け、永遠の眠りに就いた。

その冥福を心から祈りたい。
合掌――。

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