"犯罪者"のレッテルを貼られた「元・特捜のエース」が、壮絶ながん闘病の最中に綴った"ラストメッセージ"に込めた思いとは――?

「死して後已(や)む、亦(また)遠からずや(死ぬまで行い続ける。命ある限り努力してやめない)」――この論語を反芻しながら病魔と闘った一人の男が、この世を去った。
東京、大阪両地検の元特捜部検事・田中森一(もりかず)氏が11月22日午前6時52分、都内の病院で永眠した。享年71。
「眠るように息を引き取り、安らかな死に顔でしたが、まだやり残したこともあっただけに、さぞや無念だったでしょう」(関係者)
故人の意志により、すでに親族だけで密葬を済ませ、お別れの会などを営むかは未定だという――。

1943年、長崎県平戸市の貧しい漁村に生まれた田中氏は苦学の末、岡山大学在学中に司法試験を一発で突破。
71年に検事に任官すると、特捜部時代にはロッキード事件以来の政界汚職となった撚糸工連事件、平和相互銀行事件など数々の捜査を手掛け、自供を引き出す才能から「割り屋」「特捜のエース」と呼ばれた。
「田中氏はバブル全盛期の88年に弁護士に転身し、96年の住専(住宅金融専門会社)国会で有名になった末野興産の社長、また、仕手集団を率いる大物相場師など、名だたる"バブル紳士"たちの顧問弁護士に就任。安倍晋三首相の父・安倍晋太郎・元外相が率いた清和会の顧問も担当し、政治家とのつきあいも深めていった」(全国紙社会部記者)

その中でも、田中氏の名を一躍、世に知らしめたのが、数々の裏社会の大物たちとの親密な関係だった。
97年に射殺された五代目山口組の宅見勝若頭、戦後最大の経済事件と言われるイトマン事件の主犯・伊藤寿永光受刑者、"地下経済のフィクサー"と呼ばれた許永中氏らと親交を深め、いつしか「闇社会の守護神」が、その代名詞となった。
「大企業は法務部の社員が窓口で、直接社長と話をする機会はなく、面白くない。バブル紳士たちは貧困や差別から這い上がってきた連中が多く、話には生身の経験から出た魂が宿っている。彼らと仕事ができたのは男冥利に尽きる」
かつて、自らの代名詞を半ば自負するように、そう語っていたという田中氏。

だが、華やかな栄光から一転、その人生は暗転する。
「闇社会の番人と持てはやされた田中弁護士の敏腕ぶりが、次第に古巣の地検特捜部の癪に障り、いつしか、その逮捕が至上命題となっていった」(前出・社会部記者)
田中氏は2000年、石油卸商社・石橋産業を舞台にした約200億円にも及ぶ巨額の手形詐欺事件で、共謀したとされた許永中氏とともに、東京地検特捜部に逮捕されることになる。
「保釈中の07年、アウトローとの交流や検察の体質などを赤裸々に綴った自叙伝『反転』(幻冬舎)を発表。30万部を超えるベストセラーとなった」(出版関係者)

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