がん闘病の最中に遺作を執筆

この頃を境にして、田中氏は晩年まで相次ぐ苦難に襲われることになる。
一貫して身の潔白を訴えるも、08年2月、石橋産業事件で懲役3年の実刑判決が確定して収監されると、2か月後、今度は大阪地検特捜部に別の詐欺事件で逮捕され、またも懲役3年の実刑が確定。弁護士資格を失い、4年8か月に及ぶ服役を余儀なくされたのだ。
「それくらい当時の検察幹部の一部は田中さんに恨みを抱いていたし、逆に言えば、田中さんの著書や発言が検察批判の核心を突いていたということでしょう」
田中氏が収監される前、別件逮捕の可能性を直接、指摘したというジャーナリストの田原総一朗氏は、異例の逮捕劇をこう振り返る。

服役中にがんを宣告され、"獄中手術"の試練にも直面した田中氏だったが、詐欺師の汚名を返上するという一心で、一昨年の11月、滋賀刑務所から生還。
以降、服役中に心の支えとなった論語の普及や社会貢献に努めてきたが、今年2月に再発が判明。闘病の末、帰らぬ人となった。
「石橋産業事件は無実で、やましいことは何一つないということを世の中に伝えたかったのと、法律家として自らが信じる正義とは、いったい何か、これを世間の人たちにわかってほしかったんだと思います」
訃報を受けて、こう明かすのはノンフィクションライターの根岸康雄氏だ。

実は田中氏は死の直前である9月25日、『遺言-闇社会の守護神と呼ばれた男、その懺悔と雪辱』(双葉社)を上梓。根岸氏は遺作となった同書の取材及び、構成で田中氏をサポートし、壮絶な闘病の一部始終に間近で接したという。
「『遺言』の作業は田中氏が胃がんを再発させ、入院治療をして退院する4月下旬から再入院するまでの7月中旬の約3か月間にわたり、週に2~3回、1度に30分~1時間ほど、体が悲鳴を上げる中で、まさに命懸けのものでした」(根岸氏)

満身創痍の田中氏を突き動かしたものは何か。また、ラストメッセージに込めた思いは、なんだったのか。
その一つが根岸氏の指摘どおり、自身の名誉回復だったことは同書にくわしいが、それは同時に法律家としての矜持、そして、人としてのあり方でもあった。

〈私は法律というスコップを手にドブ掃除をしてきた。盗人にも三分の理、その三分を強調してやることが弁護士として、被疑者の人権を守ることにつながる。(中略)ときには法律を犯しても大切なものがあるのだ。清流に魚は棲まない。きれいごとのみで世の中は上手く回らない。ヤクザの存在は必要悪である。何ごとも事件が起こってからでは遅い。大切なことは事件になる前に未然に防ぐことである。そんな掟を自ら定めた一人の男が法曹界で生きてきた。その掟を正義とするのか、それとも悪とするのか〉
(『遺言』第七章より)

弁護士としての一線を越えたと猛省する一方、独自の正義感を持つ田中氏は法曹界にあって、稀有な存在だった。同氏との共著もある作家の宮崎学氏は、「本来は彼のような法律家こそ必要」と語り、こう続ける。
「やはり司法と人情というのは密接に関係していると思うんです。人情味のある司法の運用がなされた場合、人は反省しやすいし、被害に遭った人も理解しやすいと思うんです。罪を憎んで人を憎まずという司法の在り方の原点に回帰し、法律に血や涙を注ぎ込むような司法官がいなくなった昨今、田中さんは人情味の機微を大切にした本物の法律家でした」
宮崎氏の指摘どおり、田中氏は最後の一瞬まで、自身が描く理想の法律家像を貫いた。その証拠が、今秋から本誌で開始予定だった"幻の連載企画"である。

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