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【武豊】どんな条件でも一生懸命だった一頭

[週刊大衆02月09日号]

ボートレース戸田
https://www.boatrace-toda.jp/
GⅢ 戸田マスターズリーグ第10戦・週刊大衆杯

人生に役立つ勝負師の作法 武豊
どんな条件でも一生懸命だった一頭


2月に行われる「フェブラリーS」から暮れの「有馬記念」まで、障害競走を除くと、JRAには全部で22のGⅠ競走があります。この中で、唯一、僕が勝っていないのが……「朝日杯FS」。今年こそはと思っていますが、これが、GⅡ、GⅢとなるとかなりの数にのぼります。
今週末、東京競馬場で行われるGⅢ「根岸S」(ダート1400メートル)もそのひとつです。

僕が競馬学校に入学した1984年にスタート。当時は、4歳(現3歳)以上による混合別定のオープン特別でした。
レース名の「根岸」は、日本で最初の競馬場の名前で、「天皇賞」の起源である「エンペラーズカップ」(後の帝室御賞典)、「皐月賞」の前身である「横浜農林省賞典四歳呼馬」が始まった競馬場です。

僕がこのレースに初めて挑んだのは、デビュー9年目の95年のことでした。当時、すでに重賞に格上げされていましたが、開催時期は11月、距離1200メートルとして施行されていました。パートナーは94年の「皐月賞」(3着)、「日本ダービー」(4着)を一緒に走ったフジノマッケンオー。ナリタブライアンと同世代じゃなければ、もしかしたら、もしかしたかもしれない実力馬でした。

そんな彼のことを思い出すと、今でもちょっと不思議な気持ちになることがあります。その年のGⅡ「神戸新聞杯」(芝2000メートル)を最後に、短距離路線に変更した彼は、岡部幸雄さんとのコンビでオープン「神奈月S」(ダート1600メートル)、「根岸S」を連勝。僕とのコンビ復活で挑んだ芝のGⅠ「マイルCS」でも、ノースフライト、サクラバクシンオーに続く3着に入線。距離さえ短ければ芝でもダートでも、関係なく走ることを見せつけてくれました。
馬場も戦法も不問とにかく全力疾走

ところがです。どういうわけか、翌95年はまったくといっていいほど、いいところがなく7戦全敗。もう、限界なのかなと思ったその翌年、96年に入ると、岡部幸雄さんとのコンビで、GⅢ「ダービー卿チャレンジ」(芝1600メートル)、僕とのコンビでGⅢ「セントウルS」(芝1400メートル)を勝つなど、鮮やかな復活を遂げたのです。

良馬場、重馬場、不良馬場も関係なし。戦法も、先行、差し、追い込みとオールマイティ。勝つときは強い競馬で、負けるときは、信じられないほど脆い……なぜ、そうなるのか不思議で仕方ありませんでした。

98年に地方競馬に移籍。生涯成績は、中央と地方を合わせて、61戦8勝。引退後、種牡馬となりながら、種付けを拒否したという話を聞いたときも、首をひねるしかありませんでした。

しかし、それらを補っても余りあるのが、彼の走りです。
いつでも、全力――。
勝っても負けても一生懸命で、それこそがフジノマッケンオーの真骨頂でした。ともすれば忘れがちになるこの言葉を、もう一度、心に刻み、今週末のレースに臨みます。


■武豊 プロフィール
1969年3月15日、京都生まれ。1987年の騎手デビュー以後、通算3500勝、日本人騎手初の海外GI制覇、年間200勝突破など数々の金字塔を打ち立て、現在も活躍中。

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