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【パンチ佐藤】開幕アラカルト…オリックス時代の裏話

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パンチ佐藤の「野球が一番!」
第13回 開幕アラカルト…オリックス時代の裏話


前回は、開幕から今年のプロ野球を占いました。おそらく読者の皆様は、僕の現役当時のオリックスに関する「情報」が一番知りたいでしょう。そこで今回は、僕が現役時のオリックスについて大公開します。

僕が優勝チームを占う場合、去年の成績やネームバリューは一切無視。「チームが一体」になっているか、否かです。

その意味では僕が現役時、オリックスに5年在籍しましたが、一度も「優勝」という二文字は聞いたことがない。結果、この5年間、オリックスは一度も戴冠しませんでした。

オリックス前身の阪急はパ・リーグの強豪。僕が一年生だった時の上田利治監督は常勝チーム阪急の名将として知られていました。ところが強豪・阪急というチームはかなり異質。僕が思う「チームが一体」ではないのです。選手が自分のすべきことをやる――ある意味、大人のチームだったのです。

例えば、一番・福本(豊)さんは「塁に出て走ればいいんだろう」。で、出塁すると盗塁。2塁に福本さんを置いて2番・大熊(忠義)さんは「俺は右方向に打てばいいんだろう」とばかり、一二塁間を意識したチームバッティング。ランナー3塁になり3番・加藤(秀司→英司)さんは「外野まで飛ばすのが俺の仕事」と犠牲フライか(「ヒットの名手」と呼ばれていたので)安打で1点。各自が自分の役割を知っている「職人」「曲者(つわもの)」揃いだったのです。

誰も「優勝しようぜ」と口にしない。それでも勝ち方を知っていた。こんな個性的な選手が勢揃いしたため、常勝チームができあがったのです。
ところが、阪急からオリックスに球団名が変った頃、世代交代が進んで戦力ダウン。往年の「職人」が球団を去ったあたりから西武の時代が到来し、オリックスはかつての輝きを失った。その時、「優勝しようぜ」とチームを鼓舞する選手が出てきていたら、西武の対抗馬として、新しい時代が築けたのですが、それを言う選手はいなかった。

「優勝」の二文字に拘った選手が現れず、チームより自分の成績を優先する状況。そんな調子では西武に勝てるわけがありません。力はあっただけに、もったいなかったですね。

実際、僕が引退した翌年の95年、阪神淡路大震災が起きました。オリックス球団は震災した神戸を元気付けようと「がんばろう神戸」を掲げ、「優勝」を前面に出しました。その年は見事に優勝。また、11年、東日本大震災が起きた時は「東北を元気にする」をスローガンに掲げた東北楽天が優勝した。どちらも「復興」でチームが一つになった典型です。

優勝するチームは「球団」「選手」「ファン」「球団職員」……それこそ、切符売りの女の子までががっちり一体になっています。戦力の大小は二の次、三の次ですね。

昨年、広島は「カープ女子」ブームで沸き、今年は「黒田(博樹)の男気」で日本中の野球ファンに感動を与えた。広島はまさにチームとファンが一体。DeNAも中畑(清)監督が前線に立ち、自ら広報・宣伝部長を買って出ている姿は選手や球団、ファンを惹きつけた。ジャイアンツが楽に勝てなくなっているのはそういった背景からだと思います。

ペナントレースは3、4、5月の2ヵ月半が大切。「開幕を制する者はペナントを制す」と呼ばれます。これは投手、打者にもいえること。この時期に好成績を収めておけば、シーズン終了まで、その勢いが持続できる。

落合(博満)さんは特例で、シーズン終盤・第4コーナーに差しかかった秋口から一気に捲り、タイトルを奪取します。ただ、こういった選手は本当に稀。ごく少数です。

だいたいが3、4、5月に好成績を残すこと。この時期に波に乗るか、乗れないかで一年の成績が分かりますね。最初からアクセル全開。これが大事なのです。

ちなみに僕は、キャンプ初日の2月1日にフルスロットルでマックス。よって、開幕時は疲労困憊で低空飛行中でした。入団1年目と5年目は一軍で(開幕を)迎えられましたが、2~4年目はファーム落ち。二軍でシーズンを迎えたのです。

ファームで迎えた2~4年目は焦らず、体調を戻すことに終始。夏場までにリスタートできるよう、身体作りをしました。

一軍でスタートを切れた1年目と5年目は足の裏に心臓があるような感じでした。グラウンドに立つと「ドックンドックン」と心臓の音が足元から聞こえてきました。これは「緊張」ではなく、喜びの「興奮」です。

僕は代打要員ですから一打席勝負。1年目はロッテ戦で出場しました。これが「プロ初打席」。相手投手は村田兆治さん。結果は「空振り三振」でした。

初安打は、その2試合後のダイエー戦。ピンチヒッター、2打席目で初ヒットを打ちました。

前回と今回で僕流の「ペナントレース」を綴りました。実体験を交えたので、それなりに説得力があったと思いますが、いかがでしょうか――。やっぱり、「野球が一番!」


パンチ佐藤(ぱんち・さとう)プロフィール

1964年12月3日生まれ
亜細亜大学から熊谷組を経て、オリックスにドラフト1位で入団。プロ野球時代、トレードマークのパンチパーマと独特な発言で人気者に。引退後はタレントとしても活躍し、2015年シーズンからBCリーグ『武蔵ヒートベアーズ』の宣伝本部長に就任した。

【パンチ佐藤】開幕アラカルト…オリックス時代の裏話

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