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カズ山本、中村ノリ、落合ほか、「泣けるヒーローインタビュー」名場面10選

[別冊週刊大衆 美しき敗者36番勝負]

カズ山本、中村ノリ、落合ほか、「泣けるヒーローインタビュー」名場面10選

最近のプロ野球選手はよく泣くようになった。それをモロくなったと批判する諸先輩もいるが、選手たちの涙は、その試合がいかに重要な一戦だったかをファンに伝えてくれるものでもある。挫折と苦悩を繰り返した選手たちが、試合の後に声を震わせながら語った言葉。つられて思わずもらい泣きしてしまう、日本中を感動させたヒーローたちのインタビューを紹介する。


■「拓也とは同級生で、いつもいつも励ましあってました」(2014年4月24日、巨人・谷佳知)
2010年4月2日、木村拓也守備走塁コーチが試合前のノック中に昏倒し、クモ膜下出血で帰らぬ人となった。24日の対広島戦は巨人に所属した木村コーチの追悼試合。2対3で1点を追う巨人は、八回一死満塁の場面で、木村と同級生で友人の谷佳知を代打に送る。谷は初球を左中間スタンドに弾き返し、プロ初の満塁本塁打。お立ち台に登るといつもは冷静沈着な谷が感極まって涙。その後、木村の息子にそっとウイニングボールを渡した。

■「優勝しなきゃいけない、優勝させなきゃいけないという気持ちがやっと消えました」(2006年10月10日、中日・落合博満)
現役時代、一切の感情を出さなかった落合博満が、この日は涙を隠そうとしなかった。勝てば2年ぶりのリーグ優勝が決まる巨人との大一番は3対3のまま延長戦。12回表中日は福留孝介の適時打で勝ち越すと、4番ウッズの満塁本塁打で9対3とし試合を決定付けた。その瞬間、指揮官の目にはすでに涙が浮かんでいたという。感情を爆発させたことを反省したのか、この試合を区切りに落合は2011年に退任するまで一切の感情を殺すことになる。

■「本当にホッとしていて、(この1年は)本当にきつかったなって思います」(2007年11月1日、中日・中村紀洋)
MLBへの挑戦が不調に終わり、オリックスへ復帰を果たした中村は、怪我を巡る年棒交渉で球団と決裂し退団。引退も覚悟していた中村を育成枠から入団させたのが落合だった。中村は頭を丸め真摯に野球に打ち込むとシーズン前に支配下に登録。近鉄時代「いてまえ」で主役を張り続けた男が多くを語らず、ただ恩義に報いるようチームの優勝に貢献。日本シリーズでは勝負強い打撃でMVPを獲得するとお立ち台で、球団関係者、ファンに対して感謝を述べる。その瞬間、こぼれ落ちた涙は、男が1年間我慢し続けてきたものだった。
■「まぐれです」(1996年 オールスター、近鉄・山本和範)
山本和範の野球人生は波乱万丈だった。投手をクビ、故障に難聴、解雇されてアルバイト。復帰してダイエーで2億円プレーヤーになるも突如解雇。最後はテストを受けて入団した近鉄に流れ着いた。96年プロ20年目で初のファン投票でオールスターに選出。その第一戦の6回、同点の場面で山本は代打に立つと、阪神のエース藪恵一から決勝の本塁打を放つ。お立ち台では「まぐれです」と一言。引退も囁かれた無骨な男の意地だった。

■「7年間でこんなに寂しいヒーローインタビューは初めてですね」(2011年10月11日、楽天・山崎武史)
一時は解雇寸前。ポンコツと罵られ、仙台に出来たばかりのお荷物球団・楽天に放出さた山﨑武司。野村監督との出会いで錆びついた才能が再び開花し、東北の本塁打王として仙台の人々に愛された。しかし、球団の若返り構想から退団が決定。その最後の試合、楽天が勝利すると、急遽山﨑がお立ち台に呼ばれた。「こういう形で仙台を離れますけど……この恩は一生忘れません。ありがとうございました」と涙ながらに感謝の言葉を綴った。

■「たまに試合に出る自分にこれだけの声援を送ってくれて…」(1995年9月20日、巨人・原辰徳)
巨人軍の4番打者としてその“聖域”を守り続けた原辰徳も、95年シーズンは戦力補強と度重なる怪我でスタメンの機会を失い、代打要員に燻っていた。シーズン終盤の中日戦、途中出場の原が全盛期を思わせる通算380号本塁打を放つ。試合の勝敗に関係のない一打だったが、球団の計らいでお立ち台に呼ばれると、原は自身の不甲斐なさを詫びると共に、それにもかかわらず大きな声援を送ってくれるファンに感謝の言葉を述べた。

■「今日、子供が生まれまして…何としても勝ちたかった」(2014年7月12日、ロッテ・藤岡貴祐)
その日の午前5時48分、都内の病院で藤岡の第一子となる男の子が誕生。登板前日、不安で眠ることが出来なかった藤岡の背中を押したのは妻の言葉だった。「子供も私も頑張ったから。次はあなたの番よ。」そう言われ、力が湧いた。対楽天戦、試合は8回まで3失点、9奪三振と好投し勝利投手に。お立ち台に上がった藤岡は感情が一気に込み上げる。「いつかこの日のことを話してあげたい」。妻と子に捧げる勝利。その表情は輝きに満ちていた。

■「こんな悔しい思いをしたのは初めてです」(1991年7月9日、西武・清原和博)
「ちょっと待ってください…」カメラに背を向け、清原は東京ドームの天井を見上げた。その間約30秒。溢れ出す涙を必死に堪える。91年のシーズン序盤、怪物としてプロ入りし、順調に成績を収めてきた清原が初めてのスランプに直面。この日、3試合ぶりのスタメンも2打席凡退。崖っぷち3打席目に26打席ぶりとなる先制適時打を放つと、4打席目には12号本塁打。復活への一打は、しかし、この後、更に苛烈を極める野球人生の幕開けを意味していた。
■「オリックスはこんな弱いチームじゃありません」(1991年5月3日、オリックス・藤井康雄)
球団譲渡でオリックスとなり3年目。前年2位だったチームは開幕依頼負け越し最下位となっていた。対日本ハム戦、2点差で抑えた9回、1番もとに市の本塁打で1点差まで詰め寄ると、二死一塁の場面。打席に藤井康雄が入る。直球を振り抜いた打球は、右仲間スタンドに飛び込む逆転サヨナラ二ラン本塁打。目を真っ赤にして藤井はダイヤモンドを回った。この三年後にイチローが出現し、オリックスは初優勝。黄金時代は藤井の思いからはじまった。

■「こどもたちの夢を汚さないでください」(2009年9月26日、ロッテ・西岡剛)
「本当にロッテを愛してるなら、明日から横断幕を下してください」ヒーローインタビューの最中、西岡は突如ライトスタンドのファンに向け涙ながらに訴えた。プロ野球史上、前代未聞のシーン。この年のロッテはバレンタイン監督の退任、主力選手の放出などゴタゴタが続き、一部熱狂的な、ファンはフロントへの抗議のため過激な殴打なくを掲げ断罪。さらに西岡の声に応援団は翌日応援をボイコットと応援団の在り方が問われる事件となった

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