カズ山本、中村ノリ、落合ほか、「泣けるヒーローインタビュー」名場面10選の画像
カズ山本、中村ノリ、落合ほか、「泣けるヒーローインタビュー」名場面10選の画像

最近のプロ野球選手はよく泣くようになった。それをモロくなったと批判する諸先輩もいるが、選手たちの涙は、その試合がいかに重要な一戦だったかをファンに伝えてくれるものでもある。挫折と苦悩を繰り返した選手たちが、試合の後に声を震わせながら語った言葉。つられて思わずもらい泣きしてしまう、日本中を感動させたヒーローたちのインタビューを紹介する。


■「拓也とは同級生で、いつもいつも励ましあってました」(2014年4月24日、巨人・谷佳知)
2010年4月2日、木村拓也守備走塁コーチが試合前のノック中に昏倒し、クモ膜下出血で帰らぬ人となった。24日の対広島戦は巨人に所属した木村コーチの追悼試合。2対3で1点を追う巨人は、八回一死満塁の場面で、木村と同級生で友人の谷佳知を代打に送る。谷は初球を左中間スタンドに弾き返し、プロ初の満塁本塁打。お立ち台に登るといつもは冷静沈着な谷が感極まって涙。その後、木村の息子にそっとウイニングボールを渡した。

■「優勝しなきゃいけない、優勝させなきゃいけないという気持ちがやっと消えました」(2006年10月10日、中日・落合博満)
現役時代、一切の感情を出さなかった落合博満が、この日は涙を隠そうとしなかった。勝てば2年ぶりのリーグ優勝が決まる巨人との大一番は3対3のまま延長戦。12回表中日は福留孝介の適時打で勝ち越すと、4番ウッズの満塁本塁打で9対3とし試合を決定付けた。その瞬間、指揮官の目にはすでに涙が浮かんでいたという。感情を爆発させたことを反省したのか、この試合を区切りに落合は2011年に退任するまで一切の感情を殺すことになる。

■「本当にホッとしていて、(この1年は)本当にきつかったなって思います」(2007年11月1日、中日・中村紀洋)
MLBへの挑戦が不調に終わり、オリックスへ復帰を果たした中村は、怪我を巡る年棒交渉で球団と決裂し退団。引退も覚悟していた中村を育成枠から入団させたのが落合だった。中村は頭を丸め真摯に野球に打ち込むとシーズン前に支配下に登録。近鉄時代「いてまえ」で主役を張り続けた男が多くを語らず、ただ恩義に報いるようチームの優勝に貢献。日本シリーズでは勝負強い打撃でMVPを獲得するとお立ち台で、球団関係者、ファンに対して感謝を述べる。その瞬間、こぼれ落ちた涙は、男が1年間我慢し続けてきたものだった。

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