■「まぐれです」(1996年 オールスター、近鉄・山本和範)
山本和範の野球人生は波乱万丈だった。投手をクビ、故障に難聴、解雇されてアルバイト。復帰してダイエーで2億円プレーヤーになるも突如解雇。最後はテストを受けて入団した近鉄に流れ着いた。96年プロ20年目で初のファン投票でオールスターに選出。その第一戦の6回、同点の場面で山本は代打に立つと、阪神のエース藪恵一から決勝の本塁打を放つ。お立ち台では「まぐれです」と一言。引退も囁かれた無骨な男の意地だった。

■「7年間でこんなに寂しいヒーローインタビューは初めてですね」(2011年10月11日、楽天・山崎武史)
一時は解雇寸前。ポンコツと罵られ、仙台に出来たばかりのお荷物球団・楽天に放出さた山﨑武司。野村監督との出会いで錆びついた才能が再び開花し、東北の本塁打王として仙台の人々に愛された。しかし、球団の若返り構想から退団が決定。その最後の試合、楽天が勝利すると、急遽山﨑がお立ち台に呼ばれた。「こういう形で仙台を離れますけど……この恩は一生忘れません。ありがとうございました」と涙ながらに感謝の言葉を綴った。

■「たまに試合に出る自分にこれだけの声援を送ってくれて…」(1995年9月20日、巨人・原辰徳)
巨人軍の4番打者としてその“聖域”を守り続けた原辰徳も、95年シーズンは戦力補強と度重なる怪我でスタメンの機会を失い、代打要員に燻っていた。シーズン終盤の中日戦、途中出場の原が全盛期を思わせる通算380号本塁打を放つ。試合の勝敗に関係のない一打だったが、球団の計らいでお立ち台に呼ばれると、原は自身の不甲斐なさを詫びると共に、それにもかかわらず大きな声援を送ってくれるファンに感謝の言葉を述べた。

■「今日、子供が生まれまして…何としても勝ちたかった」(2014年7月12日、ロッテ・藤岡貴祐)
その日の午前5時48分、都内の病院で藤岡の第一子となる男の子が誕生。登板前日、不安で眠ることが出来なかった藤岡の背中を押したのは妻の言葉だった。「子供も私も頑張ったから。次はあなたの番よ。」そう言われ、力が湧いた。対楽天戦、試合は8回まで3失点、9奪三振と好投し勝利投手に。お立ち台に上がった藤岡は感情が一気に込み上げる。「いつかこの日のことを話してあげたい」。妻と子に捧げる勝利。その表情は輝きに満ちていた。

■「こんな悔しい思いをしたのは初めてです」(1991年7月9日、西武・清原和博)
「ちょっと待ってください…」カメラに背を向け、清原は東京ドームの天井を見上げた。その間約30秒。溢れ出す涙を必死に堪える。91年のシーズン序盤、怪物としてプロ入りし、順調に成績を収めてきた清原が初めてのスランプに直面。この日、3試合ぶりのスタメンも2打席凡退。崖っぷち3打席目に26打席ぶりとなる先制適時打を放つと、4打席目には12号本塁打。復活への一打は、しかし、この後、更に苛烈を極める野球人生の幕開けを意味していた。

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