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アナウンサー界のレジェンドが語る「伝説の競馬名実況」感動プレイバック!

[ヴィーナス2017年12月05日号]

ボートレース戸田
https://www.boatrace-toda.jp/
GⅢ 戸田マスターズリーグ第10戦・週刊大衆杯

アナウンサー界のレジェンドが語る「伝説の競馬名実況」感動プレイバック!

 数多くの名レースに華を添えてきた2大アナウンサーの名フレーズは、どのようにして生まれたのか。超豪華インタビューを敢行! 涙を誘う、あのシーンが蘇る!!

「今年もあなたの、そして私の夢が走っています」 競馬ファンにとっては、この言葉を聞くだけで当時の情景が浮かび、あの声が頭の中で響く。そう、これは1990年代に行われた宝塚記念の実況で、何度も繰り返された言葉だ。名馬が紡いできた歴史とともに、我が国には誇るべき名実況の歴史がある! ということで、数々の名実況を生んだ、「競馬実況の神様」杉本清氏。そして、その後継者として80年~2000年代に大活躍した馬場鉄志氏。今回は、実況界のレジェンド2人に、当時の裏話とともに、振り返ってもらった。

■G1菊花賞でファンの心をつかんだ名言

 まず杉本氏に聞いたのはサクラスターオーが勝った1987年の菊花賞の名実況。「菊の季節にサクラが満開!」 レースをリアルタイムで見ていなくても、この言葉を知っている若い競馬ファンも多いのではないだろうか。「自分としては平凡な実況だと思ったんですけどね。だって前の日から考えていたら“季節外れのサクラです!”とか、もっと整った言葉を使えたはずですから。こんな話題になるなんて思いもしなかった」(杉本氏)

 裏を返せば、キレイに整っていなかった言葉だからこそ、多くのファンの心をつかんだ名言だったのかもしれない。

「よく“前もって用意しているんだろう”と言われるんですけど、ほとんどないんです。数少ない用意した経験で、今でも強烈に覚えているのが、92年の菊花賞なんです……」

 この年の菊花賞の1番人気は、前年の朝日杯3歳Sから、皐月賞、ダービーとすべてを勝利したミホノブルボン。前評判では、三冠確実といわれていた。「ちょうど、その日は大相撲の九州場所の初日。当時、横綱不在と新聞によく出ていたんです。だから、ブルボンが勝ったら“競馬の世界には横綱がいます”と決めてやろうとワクワクしていました。そうしたら、ライスシャワーでしょ。この野郎と思いましたよ。もちろん、馬に罪はないですけどね(笑)」

■ナリタブライアンの三冠達成の瞬間

 ミホノブルボンは二冠に終わったが、杉本氏は過去3頭の三冠牡馬達成の瞬間を実況している。その中でも伝説として語り継がれているのが、94年のナリタブライアン。そのときのフレーズが、これだ。

「弟は大丈夫だ! 弟は大丈夫だ! 弟は大丈夫だ!!」

 ナリタブライアンの兄は菊花賞、天皇賞・春を制した名馬ビワハヤヒデ。しかし、菊花賞の前週に行われた天皇賞で屈腱炎を発症。引退発表直後に行われたのが、この菊花賞だった。「ダービーの勝ちっぷりから、競馬ファンの関心は、ビワハヤヒデとの兄弟対決に集中していました。もちろん、私もその一人。ただ普通なら、その舞台は年末(有馬記念)ということになりますよね。でも私は関西ですから、できることなら有馬記念でなく、来年の宝塚記念で初対決を実況するのが私の夢だった。そういうようなことを新聞記者に話したんです。その際に、“菊花賞は、どんな実況をしますか?”と聞かれて、そのとき伝えたのが、この言葉だった。そのまま新聞に出ちゃっているし、これは言わないと仕方なかったんです」

 杉本氏としては、新聞に言わされた言葉で、あまり納得はしていなかったが、何年も経過して、タレントで競馬好きのDAIGOに「全国の弟に光を当てた」と言われ、今では言って良かったと思っているとか。

■「日本近代競馬の結晶」ディープインパクト

 それから11年が経った2005年。21世紀になり、次なる三冠馬が誕生した。それがディープインパクト。名馬には大抵キャッチフレーズがつくが、この馬の冠は菊花賞での実況内で生まれた。

「世界のホースマンよ、見てくれ! これが日本近代競馬の結晶だ!!」

 この“近代競馬の結晶”という誰もが納得する言葉を生んだのが、杉本氏の後輩である馬場鉄志氏だ。「負けっこないと思っていましたから、用意していました。前哨戦の神戸新聞杯のときは何の特色もない実況をしたんですよ。それを後輩ディレクターにからかわれて、“本番まで取っておくんだ”と言いましたからね。ここはバシッと決めないとマズいだろうと」(馬場氏)

 このレースでは、道中にも名文句が生まれている。「手綱を通して血が通う。武豊とディープインパクト」

「これは専門的な話なんですが、日本人の耳にはリズムが大事なんです。これが“ディープインパクトと武豊”だと気持ち悪い。ちなみに、この言葉は、硫黄島の指揮官であった栗林中尉の愛馬進軍歌のワンフレーズを使用しました」

●凱旋門賞を意識していた実況

 この頃の競馬界はディープインパクト一色。当然ながら、06年の天皇賞・春も、馬場氏が実況を担当した。

「ハーツクライよ、ハリケーンランよ、待っていろ!」

 ハーツクライは05年の有馬記念で初めて土をつけられた相手。そしてハリケーンは、05年の凱旋門賞を勝った、当時“世界一”の馬だった。今でこそ、凱旋門賞が手の届くところまできた日本競馬だが、当時はまだ狙って勝つところに位置していない立場。だが、強気に“待っていろ”と実況に取り入れていたのだ。「凱旋門賞は勝つと思っていましたから。私の競馬人生で、こんな馬は見たことがない。天皇賞の上りが4ハロン44秒ですからね。他と4秒くらい違いますよ」

 菊花賞で世界のホースマンという言葉を使い、天皇賞・春で、すでに凱旋門賞を意識していた馬場氏。その理由の一つに、自身と競馬実況の出合いが関係しているという。「初めて私が競馬実況に魅せられたのは、ローレル競馬場で行われたワシントンDCインターナショナル。当時、予備校生だったんですが、ラジオにしがみついて小坂巌さんの実況を聞いていました。“4番が日本のタケシバオーです”という言葉が海を越えて聞こえてきたときは、本当に興奮しましたね」

 実況アナウンサーになる夢を叶えた馬場氏が、世界を意識するディープインパクトと出合ったことで生まれた名実況だったのだ。

■牝馬クラシックでも名フレーズが!

 そんな00年代は牡馬や古馬のレースを担当していた馬場氏だが、杉本氏と2トップを形成していた1990年代は牝馬クラシックを担当。その中でも名実況といわれるのが、93年のエリザベス女王杯。

「ベガはベガでもホクトベガ」

 今も語り継がれる名フレーズだが、馬場氏は気にも止めていなかったという。翌日、先輩の桑原征平氏に「昨日の実況、良かったな」と言われて、「一般の競馬ファンには、こういう実況がウケるんだな」と気づいたそうだ。そんな馬場氏が、ホクトベガより気に入っている実況は“本家”ベガが勝った、同年の桜花賞だという。

「花曇りの空に一等星輝く」

 常に実況に深みを持たせるために古今和歌集などを読み込んでいた馬場氏ならではの名実況。そのときの情景が浮かんでくるようだ。

■天皇賞・春で競馬ファンがゾクッ!

 馬場氏に続いて、杉本氏に一番気に入っている実況を聞いてみると、一番を決めるのは難しいとしながらも、うまくいったと自信があるのは、マヤノトップガンの勝った97年の天皇賞・春だという。確かに、このレースを見直すと、3番人気と思えないほど実況で同馬をフォロー。結果を知っていたといわれても不思議でないくらい読みが冴えているのだ。「人気はサクラローレルとマーベラスサンデーだったんですが、その週に武邦彦さんとのトークショーで、“怖いのは死んだフリをしている第三の馬”と聞いたんです。それで、トップガンの前哨戦(阪神大賞典)を見直したら、後ろからの競馬を試したように見えたんですよ。騎手は田原成貴だし、これはやるぞと(笑)」(杉本氏)

 そしてレース中のマヤノトップガンは、内でジッと我慢。「そのときに“これで良いのではないでしょうか”と咄嗟に出てしまったんですよね。ただ京都は、夕方になると西日が凄いんです。だから追い込んできたときに、絶対の自信がなかった」

 そんな状況だったからこそ、競馬ファンがゾクッとした、あの言葉が響いた。

「大外から何か1頭突っ込んできた。トップガンだ、トップガンだ~!」

 一呼吸置くことで、より印象的な言葉になったのだ。

■テンポイントの有馬記念Vは日本中が感動に包まれた

 そして最後はオールドファンにとっての定番。杉本氏といえば、この実況だ。

「見てくれ、この脚。見てくれ、この脚。これが関西期待のテンポイントだ」

 75年の阪神3歳S。東高西低と呼ばれた競馬界に、突然現れたスターだった。「テンポイントにはたくさん思い出があるんですけど、印象深いのは春のクラシックを負けて迎えた京都大賞典。弱々しかった栗毛の馬体が、40キロくらい増えていたんですよ。そのレースは3着だったんですが、先(菊花賞)もあるし、“今日はこれで十分だ”と実況した。するとディレクターが飛んできて、“単勝を買っている人もいるのに問題になるよ”と怒られました」

 しかし、翌日になっても電話は1本も鳴らなかった。競馬ファンも同じ気持ちだったのだ。そして、その菊花賞で生まれたのが、この実況だ。

「それゆけテンポイント! ムチなどいらぬ! 押せ、テンポイント!」

 まさに文字にするだけでも熱が伝わってくる言葉だが、グリーングラスに敗れ、結果は2着。この言葉は“テンポイントが強すぎて鞭などいらない”という意味で伝わっているが、実際は違っていた。「騎手の鹿戸明が、内から鞭を叩いて馬が外へ外へとヨレていくものだから、怒りながら実況したんです。グリーングラス陣営には申し訳なかったけどね」

 そして、77年の有馬記念。本来は関東圏でのレースなので実況はしないが、テンポイントは翌年、海外遠征が決まっていた。そのドキュメンタリー制作のために、杉本氏も有馬記念の実況をすることになった。ライバル、トウショウボーイとのマッチレースとなった、このレースで生まれたのが……。

「あなたの、そして私の夢が走っています」

 テンポイントは、見事に優勝。日本中が感動に包まれた。

 今年も残すところ、あとわずか。競馬ファンの夢は、名実況とともに走り続ける。

杉本清(すぎもと・きよし)
1937年2月19日生まれ。61年、関西テレビのアナウンサー試験に合格。同年から競馬の実況を担当し、幾多の名実況を生んだ。

馬場鉄志(ばば・てつし)
1950年9月27日生まれ。競馬の実況をするために関西テレビに入社。競馬だけでなく、野球やマラソン中継など、幅広く活躍している。

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