急逝した芥川賞作家・西村賢太さん「私小説家として終わる、っていうことが目標です。小説家として終われる人って、あんまりいないんで」「無視をきめこむ文芸編集者には、心底ざまあみろ、と思ってますね」明かしていた本音の画像
西村賢太 撮影/弦巻勝

 2022年2月5日の午前6時32分、芥川賞作家の西村賢太さんが東京都北区の病院で死去した。4日にタクシーに乗車中に意識を失い、病院に搬送されたがそのまま帰らぬ人となった。享年54。日本で唯一の私小説を書き続けた作家で、11年に『苦役列車』で芥川賞を受賞。

 2013年の『週刊大衆』「人間力」での西村さんのインタビューをここに掲載し、故人を悼みたい。 

 

 僕は文芸誌、いま主として5誌ありますけど、そのうちの『新潮』1誌しか相手にしてくれない状況が長く続いていたんですね。編集者とうまくやっていけないもので。芥川賞を受賞しても、そこに『文學界』が加わって2誌だけですよ、回してるの。こんな芥川賞作家いないですよ。

 だから売れているとか、そういう意識はまったくないんですよ。

 芥川取る前の1年間くらい、もうダメだと思ってました。こう依頼原稿もなく、編集者から無視されていては小説家としての先は絶望だと。小説家で絶望ってことは人生も終わってるも同然なんで、そのときが一番きつかったですね。

 でも、口はばったいですが、やっぱり多少なりとも意地っつうものがありますからね。どうせ終わるんなら、一矢なりとも報いたいという。それで立て続けに『新潮』に持ち込んで、結果報いることができたわけです。いまは仕事も増えたけど、相変わらずわざと無視をきめこむ文芸編集者がいる。そいつらには心底ざまあみろ、と思ってますね。

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