日出ずる処の天子、書を日没する所の天子に致す。 これは推古天皇がこの国を治めていた六〇七年に、かの聖徳太子が当時の中国皇帝「隋」の煬帝に使節を派遣した際、日出ずる処の天子、すなわち日本の天皇が日没する所の天子、つまり中国の皇帝へ送った国書の一節だ。 五世紀の「倭の五王」の時代には、日本の大王 (天…
日出ずる処の天子、書を日没する所の天子に致す。 これは推古天皇がこの国を治めていた六〇七年に、かの聖徳太子が当時の中国皇帝「隋」の煬帝に使節を派遣した際、日出ずる処の天子、すなわち日本の天皇が日没する所の天子、つまり中国の皇帝へ送った国書の一節だ。 五世紀の「倭の五王」の時代には、日本の大王 (天…