■城島と山口が出会いTOKIOが生まれた

 リーダーの城島は、雑誌のインタビューなどで「1人メンバーが抜けるようなことがあれば、芸能界から足を洗うくらいの覚悟でやっている」と話していた。

 山口が不祥事が発覚した直後の2018年年5月2日、4人で行った謝罪会見で城島は、「TOKIOを結成してから自分は、自らリーダーという名のもとにおいて、自分の責任において、TOKIOという名前を消さない、継続していくことが、自分の役目だと、リーダーとしての。そういうことをずっと言ってまいりました」、「メンバーもそれぞれ同じような、表現は違いますけれど、何かあったらという部分は持っていると思います」と語っている。

 また、城島は同会見で「もともとTOKIOっていうのが、1988年か9年ぐらいのときに、山口達也と私、城島が出会いまして、それぞれギターとベースをやってたっていう部分もあって、バンドをやろうじゃないかという部分もあったので」と、31、32年前に城島と山口が出会ったことでTOKIOが生まれたと明かしている。

「山口が退所してからも、その思いは変わらなかったのでしょう。ただ、長瀬は3人とは別の動きをすることになります。山口退所以前から、長瀬はジャニーズ事務所以外の外部との交流が盛んでした。

 山口退所後はその動きも活発になり、親族が経営するアバレルブランドの手伝いや、友人との覆面バンド活動、ゲリラ的なDJイベント参加や、自主映画製作なども報じられてきました。

 俳優活動では宮藤官九郎(50)をはじめとする、大人計画との交流が深く、来年1月クールにはクドカンが手掛けるドラマ『俺の家のはなし』(TBS系)での主演が決まっています」(前出の芸能プロ関係者)

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