逝去・石原慎太郎の「89年人生」を支えた!弟・裕次郎との「不滅の絆」と「暴力」の画像
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 2月1日、作家の石原慎太郎氏が亡くなった(享年89)。昭和7年(1932年)生まれの石原氏は、幼少期に戦争を体験。戦後は早逝した父に代わって家族を養うため、一橋大学在学中から小説を執筆し、『太陽の季節』で芥川賞を受賞した。以降は、論壇でも活躍。35歳で参院選で初当選して政界に進出すると、衆院議員に転じて運輸大臣、東京都知事などを歴任した。

 激動の人生を歩んだ石原氏。その来し方は、「反骨の闘争」に彩られていた。晩年に病床で執筆した『あるヤクザの生涯 安藤昇伝』(幻冬舎)には、それが色濃く表れている。

「戦後、“渋谷のドン”として君臨した安藤昇氏の生涯を描いた作品です。石原さん自身、安藤氏と何度か会うことがあり、魅了されたことも綴られています」(出版関係者)

 同書には、両者のこんなやり取りがある。〈「あんたは、この国は核兵器を持つべきだと言っているんでしょ。(略)俺も同感だね」(略)思い切って質した私に薄く笑うと、「だって相手が拳銃を持っているのに、こっちがドスだけじゃ喧嘩にならないからね。そんな当たり前の道理が何故通らないのかねえ(略)」〉

 石原氏が追い求めた闘争に打ち勝つ“暴力”と“反骨の思想”を体現した一人が、安藤氏だったのだろう。

〈政治の世界で我慢ならぬ金権の支配に反発して暴挙とも呼ばれた戦いを挑んでもきたが、それがもたらした敗北に後悔はなかったし、ある種の清涼感さえ覚えた〉(前掲書)

 政界の常識に風穴を開けた氏の言動は、“タカ派”として批判もされたが、「銀行税の導入、ディーゼル車規制、横田基地の軍民共用化、尖閣諸島の政府による買い上げの働きかけなど、都知事時代に実現した政策は、彼だからできたこと。昨夏開催された東京五輪も、石原さんが最初に招致を始めたことです」(全国紙政治部記者)

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